新潟県一般県道339号
小栗山川口線
荒谷トンネル旧道 第5部
(完結編)
2021年9月11日 探索 2021年11月21日 公開
今回は調査編。
とは言えど、初回の事前調査である程度(と言うか、ほとんど)終わってしまっているので、残りは・・・と言ったところだが、可能な限り進めてみよう。
荒谷トンネルは全長292m、全幅7.6mの道路トンネルで、竣功は1977年(昭和52年)と、少し意外ではあるものの、なかなかに年季が入ったトンネルだ。私の竣功は1971年(昭和46年)で、今年(2021年)で製造から50周年を迎えていることから、このトンネルは竣功から44年経過と言うことになる。つまり、私が通ったあの旧道は旧道化してから44年経過していると言うことになる。そう考えると、よくも今まで残ってくれていたものだ。
この荒谷トンネルの開通に関しては、当時の行政区域である北魚沼郡川口町の「広報かわぐち」と言う広報紙に掲載されており、その扱いは堂々の1面掲載。総工費は3億7600万円だった。そこで今度は着工時の記事を探してみると・・・
ありました。1972年(昭和47年)6月の「広報かわぐち」の第2号にその記事があった。その記事を読んでいくと、私が通った荒谷トンネルの旧道の峠の名称が記載されていた!。
この記事を一目見て「見出しに記載されているじゃないか。「荒谷峠」だろう?」と思ってしまった方がいたら、それは間違いである。もっとも、そう思うのは無理もないことだが、本文をよく読んでいただきたい。一段目右から12行目のところから始まる記事の中で、こう記述されている。
「また、荒谷地内の花立峠も道路が悪く、「トンネル運動」を展開し陳情を続けてきたが…」
峠の名は「花立峠」!
そうか!。この峠は花立峠と言う名前だったのか!。ここまで見事な切通しを持つ峠が無名であるはずがなく、きっと何らかの名前を持っているはずだと思っていた。峠自体の雰囲気は三坂峠にも通じるものがあるなぁ・・・とレポートを書きながら思ったが、花を立てる峠とはなかなか素敵な名前だ。これだけでも、この旧道をレポートした甲斐があると言うもの。
この6体の地蔵様や馬頭観音も見るからに歴史を感じさせるものであり、旧街道ならではのものと言えるだろう。雪深いこの地域は、通勤通学のために地元の住民たちの手で隧道を掘ってしまうほどであり、まさしく「雪害」と言ってもいいと思う。冬になると雪に閉ざされてしまう地域。魚沼でも、魚野川を渡った小千谷や十日町でも雪深く、その中でのこの荒谷トンネルの竣功は地元に大きな効果をもたらしたに違いない。
先述の「広報かわぐち」の中には、2段目のところに「まず道路整備を重点に地域振興を図るべく・・・」との文章を見つけた。やはり、地域振興にはまず道路整備が大切なんだなぁと改めて思ったのと、ある人が言った言葉がすぐに頭に浮かんだ。それは・・・
「道路難瞼ヲ除却シ、道線ヲ開通スルハ人智ヲ開明スルノ基礎」
そう、このWEBのトップページにも記載している、かの「土木県令」三島通庸が残した言葉だ。彼は新潟県と福島県を結ぶ、現在は国道49号となっている会津三方道路、新潟県と山形県を結ぶ国道113号の小国新道、山形県と宮城県を結ぶ国道48号の作並街道・関山街道、山形県と福島県を結ぶ国道13号の萬世大路など、今に続く主要な道路を作り上げた人物である。
「すべての道はローマに通ず」ではないが、交通が保たれないと地域も発展していかない。まさしく、この地域がそうではないか。それだけに、この荒谷トンネルの開通は地元にとっても大きなものだっただろう。
思いがけず、道路の大切さを再認識させてくれた今回の探索。旧道の峠の名称も「花立峠」と言うことがわかったし、なかなかに楽しく、また勉強させてくれる探索となった。
「やっぱり道路って面白いよね」
そう思いながら、私は次の探索に向かう。
新潟県一般県道339号
小栗山川口線 荒谷トンネル旧道
完結。