新潟県一般県道339号
小栗山川口線
荒谷トンネル旧道

2021年9月11日 探索 2021年11月1日 公開

新潟県一般県道339号小栗山(こぐりやま)川口線。この道路は新潟県小千谷市と長岡市を結ぶ、新潟県の一般県道である。この道がどのような道なのか、まずはここでおなじみの地理院電子地図を見てみよう。上が小千谷市側、下が長岡市川口方向だ。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈と矢印を追記して掲載

黄色で色付けされた県道が跨いでいる点線は、上越新幹線の魚沼トンネルだ。上越新幹線は小千谷市の長岡寄りの端っこで魚沼トンネルに入ると、川口和南津地区で魚野川を渡るために地表に顔を出すまで、ずっとトンネルの中を走っている。地図上の等高線の幅が狭いこの周辺は丘陵地帯で、新幹線はそこを魚沼トンネルで一気に抜けているのだ。この地域は古くから農業と養鯉が盛んなところで、地図中にある無数の小さい池は溜池であり、あちらこちらに見かけることが出来る。

この地域で特筆すべきは、やはり2004年(平成16年)10月23日17時56分に発生した新潟県中越地震だろう。新潟県中越地方を震源として発生したマグニチュード6.8、震源の深さ13キロの直下型の地震だ。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災の後、1996年(平成8年)に改正された震度改正(詳しくはこちらへ)以降、震度計によって震度7が観測された初の地震で、この地域を走るすべての道路も甚大な被害を受けた。

その数、実に国道78か所、県道163か所
市町村道845か所。

出典 Wikipedia

通行止の規制だけでこの数なので、通行規制(片側交互通行など)も含めるとなると、無数と言っていいほどの数になっただろう。事前調査で調べたところでは、今回探索する旧道の現道である荒谷トンネルも、坑口に近い坑道壁の斜め亀裂などの被害があったようだ。

地域を復旧させるにも道路が開通してないと、それも出来ない。道路の復旧に携わった方々の懸命な作業の結果、国道は2006年(平成18年)9月3日に復旧した国道291号を最後に、すべての被災箇所が復旧。県道についても、2007年(平成19年)12月までにすべて復旧し、その後の復興活動に大きな影響を与えたであろうことは想像に難しくない。

中越地震から17年。今回探索を行う荒谷トンネルの旧道を探索する前に、現道のトンネルに御挨拶。今回の探索は、ここも含めてこの地域の旧道のいくつかを回ったが、その最初がここだった。私が住む新潟市方向から来ると、小千谷市側から探索に入るのが何かと都合がいいのだが、今回はこの後の探索の都合上、長岡市川口方向から行った。旧道の入口は冒頭の地図を見てもおわかり頂けると思うが、現道の長岡側坑口(つまりはここ)よりも結構手前にあるので少し長岡側に戻ることになるのだが、そんなに長い距離じゃないし、歩いてもそう時間はかからない。

ここは、先ほどの荒谷トンネルから少し長岡側に戻った地点だ。右側に、山へ突っ込むように脇道があるが、これが荒谷トンネルの旧道だ。その経路に隧道などがないことは事前調査で判明しているので、中越地震の影響で隧道が圧壊して通行が出来ない・・・なんてことはない(と思う)。問題は路肩が崩落していたり、地盤が滑っていたりすることだ。
何せ、事前調査に使ったのは、あの地理院地図。ここを御覧頂いている方はわかって頂けると思うが、国道252号の三坂峠にしろ、国道290号の人面峠にしろ、そこに旧道があると言うことで探索に向かうと「あれれ?」とか「おいおい」ってことになって、なかなかエライ目にあうのは定番であるだけに(ま、それを望んでいるという一面もあるのだが(笑))、今回も自転車は連れ込まないことにした。と言うことで、今回も探索は徒歩である。

おおっ!いいねぇ!

分岐点から旧道を覗き込むと、このような風景が広がる。まるで木々のトンネル、いや旧道だけに木々の隧道と言うべきか。トンネルでぶち抜いている峠の本来の姿を、旧道を通ることで見ることが出来るのが醍醐味ではないかと思っている。
そこには、過去から現在まで多くの人々が通った歴史があって、その時間を積み重ねてきた風景があり、しかもそうして見える風景は一瞬で、同じ風景は二度と見れない。今回も、そうした風景が見ることが出来ると思うと非常に嬉しい限りだ。
さ、それでは!

探索開始!

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