新潟県主要地方道17号
新潟村松三川線旧道
高石第一隧道・高石第二隧道
2019年3月25日 探索・2019年4月17日 公開
2019年の3月の休日。私が住む新潟県では市街地の雪も消え、山間部の雪もそろそろ消え始めようかと言う頃である。
雪が消えてしまうと、いよいよ探索のシーズンと言うこともあって、今年一年どこを探索しようかと山と積まれた資料を目の前に、机に向かって探索計画を練っていた。今まで訪れた道で完結していない3本の未成道や旧道などと共に、他に魅力的な場所はないかとネットで情報収集をしながら、図書館から借りてきた資料などを漁っていた訳だが、その中で気になる隧道を見つけた。それがこの高石第二隧道である。
この高石第二隧道はネット上で検索すると「廃隧道」や「心霊スポット」などとして、そこそこに情報が出てくる隧道なのだが、いろいろ調べていくうちにあることに気づいた。それは「高石第二隧道」の相方であろうはずの「高石第一隧道」の名前が、どこにも出てこないのである。
普通は「第二隧道」があれば、どのような状態でも「第一隧道」がありそうなものなのだが、それがない。第二隧道が廃道になっていれば、第一隧道も廃道になっている可能性が大なのだが、その情報も一切ない。それどころか更に調べていくと、現存の隧道は「一方の入口が第二隧道で、反対側の入口が第一隧道です」などと言うところも出てきたりする始末である。
ここで賢明な読者の皆様に、よく考えて頂きたい。
この隧道の一方の坑口の名称が高石第二隧道、反対側の坑口の名称が高石第一隧道。一本の隧道のそれぞれの坑口で名称が違うなんて、そんな隧道があるだろうか?。
それは全くないとは言わないし、見た目には一本の隧道として国土地理院の地図に描かれている場合もある。ここでも取り上げた、一般国道345号笹川流れ狭路隧道群の「天王沢隧道」と「アジリキ隧道」がそのいい例だが、この場合は途中に明り取りの区間が実際にあって、それぞれの隧道は独立していた。しかも、様々な資料もこの二つの隧道が独立していることをちゃんと証明していた。だが、この高石第二隧道の場合は途中に明り取りの区間はなく、開通した当初から一本の隧道である(これは旧版地形図や航空写真で確認し、さらに新潟県発行の資料「道路概要1964」、全国隧道リストでも確認したが、後述する)。視点を変えて隧道内の途中分岐も考えて調べてみたが、それもなさそうだ。と言うことは、一方の坑口が高石第二隧道で反対側の坑口が高石第一隧道と言う、それぞれの坑口で隧道の名前が違うなんてことは、どう考えても絶対におかしい。
現存する隧道の歴史を遡ってみても、その途中に明り取り区間や分岐する隧道が確認出来ない以上、現存している隧道は最初から高石第二隧道そのもので、それとは別のどこかに高石第一隧道が必ず存在したはず。じゃあその高石第一隧道はどこに消えたのか。この疑問が、今回の探索の原動力になった。
開通してから現在までの、普通であれば誰にも気にも留められることのないであろう新潟県のとある県道の、そのささやかな歴史の中に静かに埋もれていった、今は無き一本の隧道の面影を探し出す。それが、誰にも知られることなく消えていった、高石第一隧道の弔いにもなるだろうから。
これは高石第二隧道の現在の姿だ。貫通している向こう側の明かりが眩しいが、その相方の高石第一隧道はどこへ消えたのか。まずは現存する高石第二隧道から調べてみよう!