新潟県主要地方道17号
新潟村松三川線旧道
高石第一隧道・高石第二隧道
第5部(完結編)

2019年3月25日 探索・2019年5月4日 公開

(高石第一隧道 調査編2)

第4部では、高石第一隧道が確かに存在したことを確認した。さらに、昭和50年(1975年)から昭和56年(1981年)までの間に高石第一隧道は消えたと言うことも。
高石第一隧道がどこに存在していたのか。航空写真で調べてみることにしよう。まずは昭和23年(1948年)10月撮影である。
(なお、今回の調査に使った航空写真画像は、すべて国土地理院地図・空中写真閲覧サービスで提供されている画像に注釈等を加えて使用しています。撮影地域は御神楽岳です)

高石第二隧道を赤線で示してみた。
右側には画像に入っていないが高石集落があり、高石第二隧道を通って左側にある小面谷(こづらだに)集落へ向かう道が見えるだろうか。私は最初は第二隧道の高石側を重点的に見ていた。しかし、現地レポートの際に書いた通り現地で何か違和感を感じて(ホントにここにあったんだろうか?と言う直感である)、自宅に戻ってもう一度この画像をくまなく調べてみた。そうすると、高石第二隧道を村松側から出て進んでいくと、左・右・左とつづら折りのカーブがあり、その先の道路上に何か黒い影が見える。道路はここで上空からは判別できなくなっているが、すぐに復活して小面谷方向へ向かっている。…この黒い影は何だろう?。

昭和40年(1965年)10月撮影の画像である。昭和23年の地図と同じ場所に黒い影があり、道路はそこで途切れるがすぐに復活している。昭和23年10月と道路の形状はさほど変わってないように見える。
この黒い大きな影はもしかして…山ではないだろうか。だとするなら、その山を短い隧道で貫通していたのかも知れない。そうなると、これが高石第一隧道と言うことになる。
だが、まだ結論を出すには早計。もう少し航空写真で追跡してみる。

続いて、昭和51年(1976年)5月撮影の画像。高石第二隧道の先に見えた黒い影はやはり岩山だった!。そしてそれを道路が貫いているところがハッキリ見える。間違いない!。これは紛れもなく隧道だ!。やっと見つけたぞ!。

これが高石第一隧道だ!

この隧道は昭和51年(1976年)5月には確実に存在していた。では、この隧道がいつ消えたのか。これも航空写真で追跡してみよう。

この画像は1983年(昭和58年)5月撮影の画像である。
県道17号の道形が変わり、昭和51年当時は高石第二隧道に入る直前の山裾に沿うように進んでいた道が、昭和58年のこの画像では道形が変わっている。また、画像中に高石第一隧道として示した矢印のところにあった隧道が消えており、道が一直線になっていることにお気づきだろうか。つまり、この年には高石第一隧道は既に消えていたと言うことになる。ここで、第4部で掲載した新潟県土木部発行「道路現況調書 昭和56年」をもう一度見てみよう。

新潟県土木部発行「道路現況調書 昭和56年」より抜粋・引用

この昭和56年(1981年)の現況調書では、隧道の数は既に1本、87mになっているのは先述の通り。
県道から高石第一隧道が消えたのは、昭和51年から昭和56年の間と言う事実の裏付けが取れた。

こうして隧道の面影は見つけた。あとは現地の証拠固めだけだ。私はもう一度、現地に向かった!


さて、再び現地に向かった私は、まず高石第二隧道の高石側坑口に向かった。
なぜか。改めて高石側坑口付近の状況を確認し、「ここに隧道があったかもしれない」と言う観点から、今度は「ここに隧道はない」と言う観点で確認したかったからである。と言うわけで、高石側坑口付近でブツブツと「いや、この坑口は…」とか「ここにあったとするなら、やっぱりおかしいよなぁ…などとつぶやきながら確認していると…(こういう時の私は、頭の中で自分が考えていることを口に出すことで整理しているようで、ハタから見ればアヤシイやつの一言に尽きる。こういう時の私に声をかけても大丈夫ではあるのだが…かける方が勇気がいるよねぇ…)

皆さんは覚えておられるだろうか。この高石側坑口につながる旧道に中沢橋と言う橋があったが、この中沢橋を渡って一台の軽自動車がこちらにやってきた。これはチャンス!。現地の方の話を伺える!。私は、その軽自動車から降りてこられた一人の男性(60歳ぐらいだろうか)に声をかけた。
「すみません、お忙しいところ申し訳ありませんが…」
「はい、何でしょう???」

失礼ながら地元の方ですか?と伺うと、この男性は高石集落に住まわれている方で、この旧道から降りた河川敷にある畑にやってきたとのことだった。突然のことにいぶかしがる男性に、自分が旧道や隧道の探索を趣味にしていること、今はこの高石第二隧道を調べていることなど、身分をきちんと伝えた上で、単刀直入に伺ってみた。

「この高石第二隧道の付近に、昔10mほどの短い隧道がありませんでしたか?」
私のこの質問に、男性は少し笑顔になってこう答えてくれた。
「ありましたよ、そう近くではないけど。この隧道の手前の川岸に川側に張り出した岩山があったんだけど、そこを通るために本当に狭くて小さいトンネルがあったんだ。だけどそのトンネルはかなり前に山が崩れてしまって、その時にトンネルも一緒に崩れてしまったんだけど。もうかなり前だけどね」
「そのトンネルの名残は今でもありますか?」
「さぁ…今は無いと思うけど、場所はすぐにわかる。(高石第二隧道を指して)このトンネルの向こう側を進んでいくと、川側に山が残っているところがあって、その山側にも同じような出っ張りがあるところがある。トンネルがあったところはそこだよ」男性のお話を要約すると、このようなお話であった。

よし!やはり想定していた場所と
全く同じだ!。

調査に行き詰った時や困った時には、地元の方のお話を伺うのが一番!。
私はこれを以前に調査した出雲崎町道の稲川隧道の際に実感しており、この時は稲川隧道が町道と言うことで非常に記録が少なくて苦慮していたが(それでもこの隧道が町道と言うことを考えると、情報は比較的多かった方だとは思う)、現地調査の際の地元の方のお話で、全ての謎が解決してしまったと言うことがある。
今回も地元の方の情報に助けて頂いた。私は男性に丁重にお礼を述べ、すぐに現地に向かった!。

ここは高石第二隧道の村松側坑口から少し戻った、高石第一隧道はここにあったであろうという場所の手前に私は立っている。左に山、右は早出川で、その川岸に小山のような部分が残っており、一見すると切通しに見えるのだが、しかしこの残った小山のような部分をよく見ると、切通しにしては道路側の山肌の部分の切り落とし方が雑すぎる。近づいて確認してみよう。上の画像から少し高石側へ移動して山側を見てみたのが、次の画像である。

画像左側の山肌に笹が生えているところが見えるが、この先は山肌に沿うように空き地になっている。ここに一つ、道路であったであろう面影を見つけた。場所はこの画像で言うと、左側の笹が生えているところと、その右に電柱が見えるが、その間にある。

手前に小さい橋が見えるが、これが旧道の面影である。この橋の幅は車一台が通れる幅しかなく、先ほどの男性のお話にあった「本当に狭くて小さいトンネル」と合致する。おそらく旧道はこの橋から向こう側へ、山肌に沿うようにして進んでいたのだろう。航空写真でもそのように見て取れた。さて、問題は隧道の名残なのだが…

これは、2枚上の画像(笹が生えている画像)の箇所を角度を変えて見たものだが、画像中心部にコンクリートを吹き付けした跡が見えるだろうか。この吹き付けは、こことその周辺部のみに見られ、他の山肌には一切ない。それに、この部分は川側にせり出すような地形になっており、今では一見すると切通しのように見える。しかし、この山肌をよく見ると…

崩れてますね、これは…。
他の部分の山肌と見て、明らかに不自然なこの部分。道路はここから見ると右から左に走っていたが、ここが崩れてしまったために開削したとみる。その開削した部分に高石第一隧道があった。

角度を変えて、先ほどの小さな橋から隧道があったであろう位置を眺めてみた。右側の山肌から、おそらくは路面であったであろう箇所に土砂が流れ落ちているのがわかる。部分的に緩やかな傾斜になっている箇所がそれだ。この傾斜がなかったとすると、道形としては至極自然になる。対して、川側の名残は…


この部分だけ妙に残っている、このせり出し方。これで間違いない。先ほどの吹き付けコンクリートの跡や、この山肌の迫り出し方、それに小さな橋が伝えてくれる道形に航空写真での位置も考えると、ここが高石第一隧道の跡と見て、まず間違いないだろう。

結論。

やはり高石第一隧道は
高石第二隧道とは離れた位置に
実際に存在した。


ネタ探しから偶然見つかった高石第二隧道を基に、「それはないだろう」と言う疑問から思いがけず話が大きくなってしまった今回の探索だったが、どんな旧道にも探してみると物語はあるわけで、それを探し出すことも大切と実感したのと同時に、調査の大切さを実感した探索だった。

戦前に開通して戦後すぐに改築され、その後県道として多くの人や車を通して活躍した2本の隧道。
高石第一隧道は昭和51年から昭和56年の間に崖崩れで姿を消し、高石第二隧道も現在進行形の内部の崩落で、そう遠くない将来に崩壊するかもしれないという気がする。

高石第二隧道は、心霊スポットとしてもいろいろ紹介があるようだが、私は何も感じることはなかった。しかし心霊スポットとしてよりも、崩壊するかもしれないと言う危険の方がより高いと思うし、私もまた近くに行くことはあっても、隧道内に入ることはもうないだろう。

最後に、この2本の隧道がある場所から少し村松側に戻ったところにある「暮坪」と言う集落にあった県立公園の案内看板に、高石第二隧道がちゃんと残っていた(赤矢印と隧道名は私が追加した)。

新潟県主要地方道17号
新潟村松三川線旧道
高石第一隧道・高石第二隧道

完結。