越後一之宮 彌彦神社
弥彦公園トンネル
2024年2月15日 探索 2025年8月23日 公開
今回はトンネルのお話。とは言っても、酷道や険道のトンネルではなく、とある公園にあるトンネルだ。その名は弥彦公園トンネル。公園の中にあるトンネルなのだが、もともと道路として使われてたとかではなく、もともと最初から公園の中に造られたというトンネルだ。
もっとも、それが何の変哲もない普通のトンネルならレポートしないのだが、このトンネルはそうではなかった。実際に見て頂こう!。これだ!。

いいでしょ?このトンネル!
この風格!。素晴らしくない?。弥彦公園の駐車場に車を停めて、遊歩道をトコトコと歩いてくると、自然にこのトンネルに辿り着く。初めて見たときにあまりの風格に驚いて、その場で立ち尽くしてしまった。単純に公園のトンネルだとは思えない、立派なトンネルだ。しかも坑道断面が若干馬蹄型ときてる。このトンネル(年代からすると隧道なのだが)に森林鉄道でも通っていたのかと期待を込めて思ったが、そうでもない。このトンネル、遊歩道にしとくにはもったいない!。…んじゃ何にするんだといっても、あたしゃ返答に困るのだが(笑)

ここで、トンネルのポータルの名称について説明画像を作ってみた。合ってるかなぁ。違っていたらごめんなさい。アーチ環がすごく素晴らしい坑門。造りこまれたピラスターに立派なウィングにスパンドレル。トンネルの手前は左右が庭園のようになっていて(公園の中にあるので、当たり前と言えば当たり前なんだが)、非常に美しい。これで坑門から、今は無き九十九里鉄道の単端式気動車が飛び出て来たりしたら…たまらなくいい!(笑)

扁額を見上げてみる。文字が刻まれていた感じはなく、おそらく銘板か何かがはめ込まれていたのだろう。どんな字体で、どんな文言が刻まれていたんだろう。隧道名だろうか、それとも四字熟語だろうか。見たかったなぁ…。
それでも、こうして見上げてみると非常に美しいパラペット。きっちりと組み上げてあるレンガがたまらない。道路にあるトンネルではないので、竣工年などがわかるかどうか…。ま、それはさておき、せっかく貫通してるので(当たり前だ)通ろうか。

中はこんな感じ。坑道はしっかりと巻き立てされていて(タイルかなぁ…その下はコンクリかも)、通行するのに不安は全くない。普段、素掘りや入口が崩れかけた隧道ばっかり通っている身としては、なんとなく物足りないのは贅沢だな。本来は安心して通れるのが隧道なんだけどね。
補強で内側が巻きたてられているのなら、竣工当時はもっと幅が広かったのかもしれない。こんな隧道を公園の中に造ってしまう…それは当時としては(今も)ものすごく贅沢なことだっただろう。

通り抜けて、反対側の坑口を見てみる。相変わらず素晴らしい。こちらの方がピラスターもウイングも、周りの木々や岩がいいアクセントになっている。ちなみにこの坑口の脇にある巨石はもともと弥彦のものではなく、富士山の溶岩を運んで築き上げられたものだそうな。見上げてみると、こちら側にも扁額の跡はあるものの、何も刻まれていない。多分、こちらにも何かはめ込まれていたんだろうが…

この角度から見ても立派な隧道だ…。この脇にある石が富士山の溶岩とは思いもしなかった。でも、わざわざ運んできて設置するというところが、この公園に関する意気込みを感じてしまう。でも、公園の中にこんな立派なトンネルを造るなんて…しかも坑道断面はやや馬蹄型。どう見ても鉄道トンネルだろうなぁという雰囲気だが、純粋の歩行者用でもあるようだ。
ここからは、このトンネルを追いかけてみよう。
このトンネルは、旧越後鉄道の創設者で三島郡和島村小島谷の久須美秀三郎・東馬親子が、1916年(大正5年)の彌彦神社再建(1912年(明治45年・大正元年)に弥彦村の門前町から出た火災の延焼で、神社の御社殿が炎上した)・弥彦~吉田間の鉄道開通・弥彦駅開業の記念事業として設計して造園したものだ。これを弥彦公園と呼んだ。この弥彦公園の中に穿たれたのが、弥彦公園トンネルだ。だから、このトンネルは大正生まれと言うことになる。この越後鉄道について、少し触れてみる。
で、のちにこの越後鉄道が日本国有鉄道に買収されるが、この時の買収計画に弥彦公園は入らなかった。このため公園は駅前住民や弥彦村民の手で維持管理されるが、公園用地の買収を巡って、たびたび存続の危機に晒されていたという。そこで、この公園の管理者として「財団法人彌彦神苑済美会」なる団体が結成され、管理を行うこととなった。その後、1950年(昭和25年)7月27日には彌彦神社一帯が佐渡弥彦国定公園に指定。1962年(昭和37年)に、この公園を彌彦神社に奉納を申し出て財団法人は解散。以来、弥彦公園は彌彦神社の外苑として管理されて、現在に至る。
このトンネルは弥彦公園の造成時に穿たれたとのことだから、大正生まれのトンネル(隧道と言った方がいいかもしれない)と言うことになる。あの間瀬隧道よりも10年以上も古いトンネル。時期的には、同じ新潟県の笹川流れにある天王沢隧道やアジリキ隧道と同じ(この隧道はいずれも大正元年竣功)ころか。その後、このトンネルはその歴史的価値が認められることになるのだが、それがこれだ。トンネルに埋め込んである銘板を見てみよう。

このトンネルが国民的財産と認められ、登録有形文化財に指定されている。(個人的には天王沢隧道やアジリキ隧道、もっと言うなら江戸時代に穿たれた大正浦隧道も、指定されてもいいんじゃないかと思うが…)
管理もきっちりされているようだし、このトンネルに関してはこれからも残っていくんじゃないかと確信している。ただトンネルリストにも出てこない「隠れた隧道」だが…。
最後に、このトンネルを穿つ際に、3名の尊い命が犠牲になった。この記念碑はトンネルの脇にあるそうなのだが、私は見つけられなかった(これは再訪して確認したい)。その方たちは、きっと越後一之宮の弥彦神社に護られておられると思う。ご冥福をお祈りしたい。
トンネルリストにも載っていない、隠れたトンネル。
それは、内陸部を通る国鉄に対して、日本海沿岸の町を鉄道で結ぼうと尽力した人物の手によって造成された、広大な公園の中に厳に存在する。このトンネル、表舞台に出てくることはあまりないかもしれないが、そのトンネルの貫禄は、唯一無二のものだった。
越後一之宮 彌彦神社
弥彦公園トンネル
完結。