一般国道49号 旧道
音無川右岸道
第3部
2019年3月10日 探索・2019年4月8日公開
前回の終わり、道の左側脇に開いていた穴の入口に立てそうだと言うことで、入口に立ってみたところまでお送りした。この道はなぜか道路わきに開いている穴が多く、そのほとんどは旧道化してから開けられたものだと思うのだが、用水路の点検口であったり、フェンスで閉じられている隧道っぽいものからいろいろあった。で、また出会ってしまった今回の穴は、これである。
う~ん…高さはそれほど高いわけではなく、大人が屈んで歩けるくらいだろうか。横幅は1m以上はありそうだ。ただ、ここも奥がコンクリの壁で封鎖されていて、奥がどのようになっていたのかわからないので、今見える範囲だけでは本来の目的はわからないのだが…水路隧道だろうか?。
しばらく辺りを観察してみたが、それらしきものも見つからないので先へ進むことにした。
道に戻って右側の路肩から下を覗いてみると、路肩の弛んでいるガードロープと共に、ダブルトラックが刻まれた未舗装の道が見える。その先には音無川の流れが見えているが、この道は川岸に見かけた休耕地に向かっている道で、旧旧道ではなさそうだ。先へ進むことにしよう。
ん~、いかにも旧道!
いいじゃないですか~、この感じ。いかにも「私は旧道です!」と言わんばかりの雰囲気。ここを馬が引く荷車などが通っていたかと思うと、非常に感慨深いものがある。
路肩には枯葉に埋もれてはいるがガードロープがまだ生きており、いざと言う時には守ってくれる…かも知れない。そう思いながら、先へ歩いていると…
今度はなんだ?!
山側にいきなりの鉄製扉!。しかもなんだか物々しさを感じる。近づいてよ~く見てみると、鍵はかかっておらず、開けられそうだ。それはいいが、開けたらなんだか出てきたというのも困る。
しかし、である。この雰囲気は「開けないといけないでしょう!開けましょう!」と言う雰囲気満載なので、勇気をもって取っ手に手をかけて開けると…
何のことはない、水路の点検口であった…。紛らわしい!(笑)
気を取り直して先に進もう。ここまでは雪は少なかったが、この先の右カーブを進むと路面に雪が残っていそうだ。やはり長靴を履いてきてよかったと、しみじみ思う場面である。
そういえば、風もなんだか冷たくなってきた。まだまだ雪が融けていないんだなぁと思いつつ、歩いていくと…
ん~、まだまだ冬だなぁ…。ここを探索したのは3月の初旬だが、日陰はまだこれだけ雪が残っている。確かにここに入った瞬間に空気が冷たくなり、冬のような寒さを感じた。雪も積もっているところは、20cmほどの積雪であり、ここが国道だった当時は雪が降ると、そのたびに通行止めになったのかもしれない。
ん~、まだまだ雪があるよね~。しかし、道の中心部だけ雪がないので通る分には非常に助かる。ここはともかく、少し先に行くと急な斜面があることから、この道が現役だった頃には雪崩が多発していたか?と言う気がする。もしかすると、よく通行止めになっていたのだろうか。それを解消するために、現在の新道が作られたのかな?と言う気がする。
こんな道を、のんびりと歩いていく。雪道は寒いけど、あたりには小鳥の声が聞こえて春の装いがもうすぐ、と言ったところ。この道をどんな人が歩いて、どんな車が通っていたのか。その当時の風景に思いを馳せると尽きないが、それをここで立ちどまって考えていると自分が風邪をひきそうなので、歩くことにした(笑)
雪解けで道がぬかるんでしまって路盤が柔らかくなってて、こんなところを歩くには長靴さまさまである。やっぱり長靴って心強いよねぇ。この右カーブを抜けると、少し道が明るくなりそうだ。
思った通り、道も明るくなってきていい雰囲気になってきた。道のそばには用水路?が流れているが、普通の用水路と違って流れている水はとてつもなくきれいだ。このまま飲みたくなるくらい(飲まないが)の水である。時期からすると、雪解けの水だろうか。
これが、その水路の水である。手を洗ってみると冷たくて非常に気持ちいい。この場面の時間は午後3時くらいで、この時期にしては結構暖かい日であったため、歩いていると少し汗ばんでいたが、この水の爽やかな冷たさで生き返った感じだ。
ふと山側を見ると、山の中へ入っていく道を見つけた。この道の入口は画像の通り、いい感じの石垣で組まれていて歴史を感じさせる。この道はもしかして旧道か?とも思ったが、この辺は後で調べることにして今はこの雰囲気を楽しもう。しかし、見れば見るほど古そうな石垣だなぁ。
う~ん・・・行ってみてぇ~!!
いい道じゃないか!。でもなぁ…行くにしては下草を刈るナタがないからなぁ(笑)
後々の課題にするか…もしかすると、ただの林道かも知れないし。でも、こりゃ林道みたいな雰囲気でもないし…。さんざん迷いに迷って仕方なく旧道を進むことになったが、これは今後の課題にしよう。
おそらくは、と言うか多分と言うか、この道は三島通庸が作った道かも知れない。
入口にあった馬頭観音像が物語る通り、多くの馬車が通う道。ということは旧街道だったということで、実に想像力が膨らむ道でもある。この先、どんな風景を見せてくれるのか楽しみだ!