一般国道49号
石間石戸地区旧道
(前編)

2018年4月30日 探索・2018年5月29日 公開
2018年10月4日 石戸集落部分および画像追加、加筆修正

新潟県新潟市から福島県郡山市を通り、福島県いわき市へ向かう国道49号。
目的地は新潟県東蒲原郡阿賀町の「道の駅阿賀の里」がある石間集落。まずは地図を見て頂きたい。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈と矢印を追記して掲載

新潟から会津方面に向かうと、国道が釣浜橋で阿賀野川を渡っているが、以前は阿賀野川を渡らずに手前で左にカーブして阿賀野川沿いをトレースし、その先にある石戸集落へ向かっていた。現在の国道が釣浜集落を通り、取上橋で再び阿賀野川を渡った直後に左側から近づいて合流する道がこの旧道で、合流部をよく見ると旧道の方が自然な路線形になっていることがわかる。この頃の旧道を、石戸側から辿ってみた。
実はこの道、 今でも地図上は歩ける道として国土地理院の地図に記載があるが…

これは、石戸集落の入口に流れる、石戸川にかかる石戸橋の欄干。悔やまれることに、この時に橋全体の画像を撮影するのを忘れていた!。
理由は、次の画像にあるのだが…

これである(笑)

一級国道49号線とあるではないか!(旧道だから、当たり前なのだが)
しかも、国の字体が旧字体!。これを見つけた時に狂喜乱舞してしまい、橋の全景を撮影するのをすっかり忘れてしまっていた。

石戸集落を進んでいくと、こんなものを路傍に見つけた。これは「下條村道路元票」。
詳しい説明は下記の画像に譲るが、いまだに四基が残っている内の一基らしい。こうして保存されるのは大変嬉しいことである。


下條村の道路元標についての案内板も設置されていた。それを読むと阿賀町の道路元標は四カ所しか残っていないらしく、この下條村の道路元標は貴重とも言えるようだ。さて、ひとしきり道路元標で感動したところで、先に進んでみよう。

石戸ロックシェッドが現れる。当日は天気が良かった為、中に入るとこんな幾何学的な画像となった。太陽の光が差し込んで、誰も通らなくなったロックシェッドに光が差し込み、幾何学的な光景を生み出している。これはこれで、なかなかの風景と思う(^^)

ロックシェッドを抜けて、いよいよ旧道(廃道?(^^;)の始まりである。
緑が美しい、非常にいい雰囲気ではないか。少なくともここは。しかしここは川沿いの旧道、もしかすると路肩が崩れているかも?と言う予感はあった。この時点では、あまり深くは考えてなかったが…。

さぁ行こう!。ペダルを濃く足に力が入る。地図上では通れることになっているが、左に見える落石注意の表示が警告する。実に廃道っぽいアヤシイ雰囲気である。

ををっと!、いきなり倒木!。自転車を持ってきたのは間違いだったか?。ま、でもこの位はまだまだ行ける範囲である。道形はしっかり残っているので、辿ってみよう。

橋が出てきたが、見ると道幅が妙に狭い。地形図でも一応橋があることになってはいるのだが、この幅だと車一台しか通れないではないか。謎である。そういえば、入口にあった石戸橋も、幅員は確かに狭かった。

しばらく進むと、道の路肩側がごっそりと落ちている。
恐らく路面幅の半分は削られて落ちているだろう。2011年の阿賀町水害の際の傷跡だろうか。路面が浮いていない事を確認しつつ、山側を慎重に進む。

ひゃ~…。見事に路肩が滑ってるなぁ…
錆びて古びたガードレールが阿賀野川に向かって無残にぶら下がっているのが見えるだろうか?

おっと、ガードレールが宙ぶらりん。この辺から路肩が崩れたのだろう。
ちょうどここは阿賀野川がカーブしている場所。水害で阿賀野川が暴れた際に削られたか…いや、この感じだと路肩が崩れたと考える方が自然か。

振り返って撮影してみた。左が山側になる。時折路面にアスファルトが見えると妙に安心するが、全体的に倒木が非常に多く、行く先を塞いでいる。

阿賀野川を望むと、ここからでしか見られない風景が見える。
旧版地図の1972年(昭和47年)版を見ると、ここに県営渡船場があったようだ。国道が今通っている阿賀野川沿いを通っており、対岸に渡る橋もなかったため、孤立していた対岸の釣浜地区と国道を結んでいた。こういった渡船は阿賀野川沿いに多く見られたが、記録がほとんど残っておらず、いつか旧版地図を元に追跡してみたい。

途中、この標識があった。彼は人が通らなくなった今でも、律義に警告を発し続ける。
山側の美しい擁壁に注目。人工的なものでも、自然の手にかかれば長い年月を経て、こんなに自然と融合した景色になる。また、この辺は倒木や折れた枝などが多くあるが、ほとんどが桜の木だった。
ここが道として使われていた頃は(今も地図上は使われていることになっているが)、美しい道だったのでは?と思う。

なだれ防止保安林の標識がある。これは国道時代の時に設置されたものだろうか。
なだれの前に崖崩れが起きてるがと、思わず突っ込みを入れてしまったのはヒミツだ(笑)

さらに進むと、山側に湧水がある。この湧水が新潟県の名水にも選ばれている「桂清水」で、今はこの旧道の石間側までパイプラインが引かれ、取水場所が設置されている。しかし、以前に使用されていたであろう取水場所も、今も立派に機能していた。

少し進むと、この通行止の看板が倒れていた。「三川村」ではなく「阿賀町」であることに注目。
阿賀町は2005年(平成17年)4月1日 に 東蒲原郡津川町、鹿瀬町、三川村、上川村が合併し発足しているので、この看板が設置されたのは、この合併以降のことになる。どうやらここから石間側がまず通行止になったようだ。

途中、こんなに開けたさわやかな道になる。春の日差しが暖かく、木々の芽吹いた緑を美しく彩ってくれて、ここでキャンプでもしたくなるような場所なのだが、それもすぐに…

こうなる。ま、これはこれで緑が非常に美しい。今まで多くの人や車が行きかっていた道路が自然に戻るとき、人工物である路面と、自然である草や木が融合して非常に美しい景色になると私は思っている。その景色が見たいから、通ることが出来なくなる前に、そこまで到達することが出来なくなる前に画像として出来るだけ残しておきたいから、旧道や廃道に出かけるのだが。

うおっ!道がない!

そんなことを思いつつ更に進むと、上から滑っていて道がない。
通って通れないことはないけど…路肩ごと流されており、自転車を抱えては通れない。危険過ぎる。
高巻きでかわすか?とも考えたが、当日は5月初旬だったが非常に暑い日で、体力が不足気味。なぜか自転車を置いていくことは考えなかった。

ということで……撤収!

僅か1キロ弱だったが、この道が現役の国道だった頃を思うと、渡船場あり、名水と言われる湧水あり、桜の並木があり…非常に美しく、また活気のある道だっただろうと思う。
その反面、道路の山側の落石や川側の崖崩れなど災害に直面していたり、石戸集落では道が極端に狭くなるため交通事故の危険があったりで、ネックになっていたことが想像される。
また、対岸の釣浜地区や下条地区も渡船でないと往来が出来なかったことから、それも解消するため釣浜橋と取上橋で対岸にバイパスを作ったのだろう。こうして今の道形が出来上がる。

人や車の行き来がなくなっても、道はそこに残り、賑やかだった往時を教えてくれる。
途中で道が崩れていて、先へは進めなかったが…待ってろ、いつか石間側から通ってやる(笑)

と、言うことで後編!

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