一般国道252号
三坂橋旧橋

「白い華」

2023年4月22日 探索 2023年9月28日 公開

白い華

今回は、これまで「第〇部」としてシリーズ化してきたものを、違う様式で繋げたいなと思って試験的に違う方法を試している。だが正直に言うと、うまく行っていない(汗)。たぶん、この様式のものはこれっきりで終わりと思う。

さて、レポートに入ろう。
前回、発見して親柱を確認し、橋名の漢字表記「三坂橋」と「二級国道柏崎会津若松線」の文字を銘板に見つけたが、今度はその反対側に回って親柱を確認してみる。そこには立派なひらがな書きで「みさかばし」と刻んだ銘板がはめ込まれていた。親柱は苔むして、コンクリート自体も風化してきて、実にいい風格を醸し出している。だが、この橋は明治時代とかそんな時代の端ではないだろうと感じた。その理由は何よりも、この橋に意匠が無さすぎる、ということだ。

もちろん、橋が架けられた場所や、所属している道にも関係はしてくるだろうが、銘板はともかく高欄がそっけない。角柱と角柱を鉄棒で結ぶ形式の高欄は、明治時代などの古い橋にはないんじゃないかと思うし、それならばもっと凝った意匠の高欄(何か彫り物が施されているとか)になると思うのだ。
今度は、この反対側の親柱を見てみよう。銘板があれば、たぶん何かのヒントは得られるんじゃないかと思うが…

親柱がない?!

これは高欄のコンクリート柱の画像だ。当たり前だが、この手前に親柱があるはずなのだが、それがない。時間が経過する中で失われたか、それとも最初からなかったか…いやいや、最初から無かったってことはないでしょ。
となると、やっぱり途中で失われた、ということになる。銘板一枚あれば全て解明出来るのに…などと、今ここでボヤいても仕方ないが、実に口惜しい。だが、残っている高欄の支柱も苔むして、なかなかいい雰囲気を醸し出している。こうして古い橋を現地であれこれ調べているだけでも楽しい時間で、よく建設関係の方と間違われたりするのはナイショだ(笑)

ところで、この橋の竣功はいつなのかと言うことだが、詳しい日付は不明だ。でもヒントはある。それは高欄の形式と、この道が二級国道に認定された日付だ。高欄の形式はコンクリート柱に鉄棒(もしくは鉄管)だが、この形式の高欄は、今まで見てきた中ではおよそ昭和30年代から40年台に多いような気がする。
次に、この道が主要地方道から昇格して二級国道に認定された日付。この日付は1963年(昭和38年)4月1日ということがわかっている。

ということで、この橋は昭和30年代後半の竣工じゃないかと思うのだが…正確なところは不明だ。あくまで推理ということで、ご承知おき頂きたい。

この橋を現道側から眺めてみる。実にいい感じの道の風景だが、ここで一つ疑問が起きた。この道は橋を渡ってどのように進んでいたんだろう?。現道の道筋をベースに考えるなら、橋を渡って左カーブで進んでいくはずなのだが、旧道はそうはなっていない。ここから見る景色では、このまま進んで右カーブに行くような線形なのだが…直角に左に曲がっていた?!。まさかねぇ…(でも、まったくないとも言えないのよね)。

これを調べるに一番手っ取り早いのは旧版地形図を調べることだが、これを取り寄せるには時間がかかる。調査を継続して何かの形で公開したいと思う。…と言いつつ、あちらこちらの継続調査が積みあがっていってるのも承知している。いかん、こまめに調べて解決していかないといけないな。

今度は橋の下(脇?)を見てみよう。これは現道側から覗き込んだものだ。現道側は架橋するのにも川岸の斜面にちと問題があったのか、橋台までコンクリート壁で囲った中に土砂を入れて道を造り、その先端に橋台を造って架橋している。材質はすべてコンクリートのようだ。そのコンクリートはなかなかに傷んでしまっていて、黒くなっていたりオレンジ色になっていたり様々だが、白華現象(エフロレッセンス)はほとんどないようだ。


白華現象(はっかげんしょう=エフロレッセンス)とは、簡単に言うとコンクリート表面付近の石灰成分がコンクリートに染み込んだ水分などで溶けて表面に染み出し、水分が蒸発して石灰分だけが残ったり、空気中の二酸化炭素と反応して固まることによるもので、コンクリート鍾乳石ともいわれる。
これは以下の条件で区別される。

  • 1.コンクリート等が硬化する時に、内部から表面へ移動した余剰水により溶かされて析出(せきしゅつ。溶液またはガスなどから固体が分離して出てくること)したものは「一次白華」
  • 2.ひび割れや表面を伝う雨水・地下水等、外部の水により溶かされてできるものは「二次白華」

この白華現象は、コンクリートが固まる際の水分量の他にも様々な要因が関係して発生するものと考えられていて、例えば日光がコンクリートの表面に当たって乾湿の差が大きい南側には生じやすいとされていたり、気温が高い夏よりも、寒い冬の方が進行しやすいといった特徴がある。また、酸性雨が原因とされることもあるが、白華現象が起きる要因は多岐にわたるため、一概には言えない。


これがないことを考えると、橋としてはまだまだ使える、と言うことになるが、風化ということで見ると、橋桁の部分は意外と傷んでいるようにも見える。少し離れたところで全体像を見ることにしよう。

と言うことで次回は橋の全体像と、橋を含めた風景を眺めてみる。
この橋の旧さと、架橋されている場所を見ながら、あれこれと想像してみよう!。

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