一般国道113号旧道
子子見片洞門 本編

2019年5月3日 探索 2019年9月25日 公開

いよいよ、片洞門へ

2019年のゴールデンウィーク。この年は10連休となり、史上最大の連休と呼ばれたゴールデンウィークで、遠くに旅行に出かける人が多い中、私はいつものように嬉々として探索に出かけていた。こんな日々は非常に嬉しい限りで、天国だ(笑)
国道113号を新潟県岩船郡関川村から山形県西置賜郡小国町を通り、飯豊町方面へ向かう。目的地の綱取トンネルと弁当澤トンネルの間の路肩にある広場に車を止めて、今通ってきたばかりの綱取トンネルの坑門を見ると、坑門の左側に片洞門遊歩道への入口が見える。普通ならここから遊歩道に入るべきなのだが、その入口が閉鎖されていることもあり、違う入口を選んだ。私がこの遊歩道へ入る道は、もっと別の場所なのだ。それは、この片洞門の後に控えているもう一つの探索地のことを考えてのことだったのだが、私が選んだその道とは…

私が遊歩道に入ったのは、ここである。実はこの場所は事前に下準備で訪れて、確認していた。ここなら遊歩道に安全に入れるだろうと思ってのことだ。だが、この場所は今は非常に「グレーゾーン」と言う事情もあるので、場所をちゃんと記載するのはどうかお察し頂きたい。この場所のヒントはこの階段と、上に見えている赤い橋桁だ。私はここを通って遊歩道へ降りて行った。先に見える道は左右に分かれているが、左が子子見片洞門への道、右が綱取橋旧橋へ向かう道と言えば、おわかりいただけるだろうか。なお、入口にはバリケードの類は一切なく、普通に入れる状態だった。

階段の一番下に降りて左を向くと、この通りに片洞門の風景が広がる。路肩の右側には遊歩道として使われていた時代に設置されていたであろう落下防止のフェンスのポールが空しく残っている。左の山側にはそのポールから外されたフェンスの本体が集められて置いてあり、旧道の路面にはフカフカになるくらいの落ち葉が積もっていたりする。この旧道が遊歩道となり、危険としてその遊歩道も廃道になってから、かなりの年月が経過しているのだろう。しかし、この道が現役で自動車を通していたころの風景が思い起こされるほど、当時の面影をしっかりと残している。ここを自動車が通っていたを考えると信じられない部分もあるが、その当時を思い起こさせることが出来る風景を残した、実にいい旧道だ。

一つ前の画像の場所から少し進んで振り返ると、このような風景が広がる。険しい渓谷に架かる赤い橋は現道の綱取橋で、その先に迎えるトンネルの坑門は現道の子子見トンネルの坑門である。旧道はこのように渓谷沿いに沿って崖を削り取ったような形で道を造り、そこを多くの人や車が通行していた。今となれば信じられない話だが、その当時はこれが当たり前だったのだ。
画像の下側に青い布のようなものが見えるが、これはブルーシートで、よく見るとこの部分の路面が極端に狭い。それもそのはず、この部分の路肩は大部分が崩落しており、歩ける場所はごくわずかの幅でしかない。この旧道中で一番危険な場所であり、通行するのに一番神経を使う場所でもある。もし足を踏み外せば桜川渓谷に真っ逆さまなので、注意が必要だ。
足場に最新の注意を払い、先へ進んでみると…

早速現れた!片洞門だ!

これは見事な片洞門だ!。高さが幾分低いように感じられるが、これは路面に積もった枯葉のせいだろう。この道は1959年(昭和34年)に現道が出来ているので、それ以降は旧道になり遊歩道として使われていた道は、本当にここを大型自動車が通っていたのだろうかと思う道だった。開通してから後年、高さを高くして広げた結果、この旧道を大型自動車が通れるようになって、交通の利便性が更に増したそうである。それにしても道幅は狭い。現役当時の道幅から比べると、路肩が崩れたりして狭くなっているような感じがする。もう少し、片洞門に近づいてみよう。

狭いなぁ!と言うのが正直な感想だ。路肩側に規則的に並んでいる構造物が見えるだろうか。これも、この道が現役の国道113号として活動していたころの名残だろう。この道を車が通行し、山形県と新潟県を結んで人や物資が行き来していたのだ。そう考えると感慨深いものがある。この子子見片洞門と対をなす綱取片洞門も、同じように垂直の壁を切り開いて造られた片洞門と聞くが、遊歩道として利用されていた子子見片洞門よりも放置されている年月は長いだろうから、どうなっていることか。今でも通行できるのかと言う気がする。

画像はどこへ?

実は、片洞門を通行してからその後、最初に車を止めた広場へ向かって進んでいき、その間も撮影した記憶はちゃんとあるのだが、帰宅して確認してみると、なぜか画像が残っていない。この画像は広場を確認してから折り返し、帰り道での画像である。これを撮影したのが夕方の4時頃で、もうだいぶ日が陰っていることから暗い画像になってしまっているが、道の雰囲気は掴んでいただけるかと思う。これは広場から来ると片洞門の手前の位置で、ここではそれなりの道幅があり、自動車が通行していても不思議のない道幅だった。

これは片洞門を反対側から撮影した画像である。片洞門の下を流れる桜川渓谷も入れて撮影したため、片洞門が少ししか映り込んでいないが、片洞門の脇を流れる渓谷が非常に険しい渓谷であることがわかって頂けるかと思う。他の先輩諸氏のサイトを拝見すると、この片洞門の手前に観世音菩薩像があり、そこに説明板があって由来が書かれていたそうだが、私が赴いた時にはなかったように思う。それとも記憶にとどまらなかっただけなのか…。こうして記事を書いている今となってみては、いささか不思議な感じがしている。

路肩に、このようなものを見つけた。これはおそらく逸脱防止の防護施設の跡で、簡単に言うと今で言うガードレールとか路肩の駒石とか、そのような施設が造られていた支柱の跡だろうと思われる。この画像で見えているのは鉄筋で、この上に何か構造物があったのだろうが、今となってはわからない。しかし、その向こう側に見える水面との落差は感じて頂けると思う。こんなところを落ちたくはないものだ。

ブルーシートの残骸が残っている、路肩崩落地点。先ほどの同じ場所を撮影した画像よりもわかりやすいと思うが、ここが路肩崩落してしまって、この道は廃道になったのではないかと思われた。改めて観察すると、道幅の半分以上がごっそりとなくなり、その道幅は人一人が通ってやっとと言ったくらいに狭まっている。崩落個所の先に、規則的にポールが立っている場所が見えるが、これは遊歩道時代に造られたものでポールとポールの間にはチェーンなどが張られていたものだろう。これでは、通行止めになって廃道になっても仕方ないかなと言う気がする。

戻って、反対側へ

崩落個所を越え、最初にこの道に足を踏み入れた場所から反対側を撮影してみた。旧道は岩肌沿いに進み、ここでも小さな片洞門があって先へ進んでいる。先に見える橋はJR米坂線の橋で、橋の直前に短いスノーシェッドがあり、その奥にトンネルの坑門があって、旧道はその短いスノーシェッドの部分を横断する道形を取っていた。いくら踏切があると言っても危険であることに変わりはなく、これも現道に切り替わった理由の一つかもしれない。

ところで、この箇所を通行する車を撮影した1959年(昭和34年)当時の画像を小国町のWEBで見つけた。画像転載禁止とのことなので、このリンク(ここ!)から見て頂きたい。リンク先で開く画像では、上の画像の位置の片洞門と、そこを通行する車、米坂線との踏切が写っている。当時の様子がよくわかって頂けると思う。なお、この1959年(昭和34年)は、この片洞門を通る道の末期の頃で、このあと同じ年の10月に現在の子子見トンネル、綱取橋新橋、綱取トンネルが開通し、今の道筋に代わっている。

これは、もう少し近づいて見て撮影した画像である。路肩に並ぶ錆びたポールが廃道となっての年月を感じさせる。この道も小国町のWEBにあった画像のように、普通に(だったかどうかは疑問だが)車が往来する道だったのだ。ここから見ても米坂線の線路の手前に、片洞門らしき部分が見えるし、その下の路面はコンクリート製の桟橋ではないのか。路面には崩れた山肌から落ちてきた細かい石や枯葉が積もり、今は車が通れるような状態ではないが、その道幅は往時を彷彿とさせるだけの広い道幅だ。


これで子子見片洞門編は終わりだが、私の探索は更に続く。いや、本当はこの先の「あるもの」に出会うために、ここまでやってきたと言ってもいいかもしれない。その「あるもの」は1883年(明治16年)に竣功したもので、とあるWEBで見かけて、私が一目ぼれしたものだ。
上の画像から先へ進むと、出会うことが出来るのだが…その「あるもの」とは?!

続く