一般国道113号
弁当沢トンネル旧道
後編

2019年5月3日 探索 2019年10月27日 公開

路傍の標柱

これは前編の最後に載せた標柱を、少し引き気味で撮影したものだ。「山形縣」の文字と、それにかかる枝の影がなんだか良くて、標柱の頭を覆っている緑の苔などのアクセントもあって、長年ここにいますと言う印象が感じられて好きな画像だ。この標柱は今まで多くの人や車が通ってきたであろうこの道の風景を、100年以上ここから眺めてきたのかもしれない。

標柱があった場所から、今歩いてきた道を振り返ってみた。手前に倒れているのは御覧の通り倒木だが、なかなか太い木だ。この旧道が現役だったころには、このような倒木だとか路肩の崩落だったりなどの災害が結構頻繁に起きていたのかもしれない。しかし、この区間の弁当沢トンネルが、そのあとに続く子子見トンネルや綱取トンネルより後に竣功しているいるところから考えると、片洞門付近の道は(最初にも書いたが)この道よりも相当に危険だったということか。

ふと足元を見ると、このように埋め込まれた標柱が。「電力」とあり、文字の上に両矢印が刻まれている。やはり、この道の地中には電力線か何かが埋設されており、この旧道はそのための管理道なのだろう。そういえば、この道が現道に合流する地点の先には、この旧道の前に訪れた「辯當澤橋」があり、橋の高欄には電力線と思しき太い線が括り付けられていた。あの電力線が現道を跨いで(あるいは地中でくぐって)この旧道の下に埋設されているようだ。標柱の頭の両矢印の向きは、道と並行になっていた。

この画像は、いつも撮影に使用しているD90ではなく、D3300とオールドレンズの組み合わせで撮影した。画像が少し黄色みがかっているが、御容赦願いたい。標柱の場所から先へ進むと、このような崖+崖の場所に出る。山側は切り立った崖になっており、落石防止用のネットが設置されているが、御覧の通り垂直に近い崖で迫力がある。路肩側も崖なのだが、右側の手前に見える路肩に生えている木の前方が、少し道幅が狭くなっているように見える。ここは以前に路肩が滑り落ちた場所のようだ。

山側の切り立った崖を、角度を変えて撮影した。落石防止のネットがかけられている崖の様子がよく見える。ネットはところどころ破れてしまっているが、現在は作業道であることを考えると致し方ないところか。弁当沢トンネルから出てきた車の騒音が、結構大きく聞こえるようになってきた。もうすぐ現道との合流点なんだろうなと思いながら振り返ると…

隠されていた旧道の分岐点

ここが合流点か!。この場所は弁当沢トンネルの飯豊町側坑門(辯當澤橋)にあるロックシェッド(落石覆い)がある位置だ。道理で辯當澤橋から現道を眺めた時に、地図上では点線で描かれている旧道との合流点がわからなかった訳だ。近づいて確認したかったが、ロックシェッドの明り取り窓からこちらの姿が見えてしまい、現道を通る車から幽霊が出たと思われるのも困るので、ここから眺めるにとどめておいた。
弁当沢トンネルの坑門とロックシェッドを改めてここから眺めて見ると、弁当沢トンネルの壁面のコンクリートの風合いと、ロックシェッドのコンクリートの風合いが微妙に違っていて、ロックシェッドの方が施工が新しいように見える。と言うことはトンネルよりも後で施工されたものだろうから、以前はこの場所から現道を渡った先にある、あの辯當澤橋が見えたことだろう。
さ、旧道の合流点も確認できたことだし、探索には非常に楽な旧道だったが意外に楽しめた道だった。通ってきた道を辿って戻るとしようか。


足取りも軽やかな帰り道。のんびりと歩きながら戻っている途中で撮影した。先に見える右カーブから、今にもバスが走ってきそうな風景だ。現道の今の交通量を考えると旧道の道幅は狭すぎた。明治に造られた小国新道の中で、あの宇津峠よりも難工事を極めたとされる、この綱木箱口の区間。そこには片洞門があったり、見事な石組で造られた綱取橋があったり、またこのような美しい風景の区間があったりと、四季折々の姿が楽しめる道であり非常に歴史のある道でもある。この道が夏草と歴史の中に埋もれていくのは、非常に惜しい気がする。

また秋の紅葉の季節に来てみたい。
そう思いながら、この旧道を後にした。

一般国道113号
弁当沢トンネル旧道

完結。