一般国道113号
横根トンネル旧道
第6部

(完結編)

2019年5月3日・2020年3月28日 探索
2020年7月5日 公開



路肩を守る強固な石垣だ!。チェンジ後の案内板の画像で見てみると、おそらくここはコウノトリ沢のあたりだろう。でもそれにしては、コウノトリ沢と階段の位置関係が少しずれているような気もするが…。だが、この石垣だけは路肩側に降りていかないと絶対に見えないものだ。荒川新道のこの区間の開通は1884年(明治17年)10月(綱取橋旧橋 調査編を参照)なので、この石垣が開通当初からのものとすれば実に136年もの間、この道の路肩を守り続けてきたことになる。もう少し離れて見てみよう。



横一直線に綺麗に並ぶ石垣。積み上げるだけでも大変だったんじゃないかと思うが、チェンジ後の画像は左側の先を撮影したものだ。実に長い区間、この石垣が組まれているのがお分かりいただけると思う。
私が撮影しているこの手前側が、先ほどの案内板での「コウノトリ沢のそばにある階段を下りた場所」になるのだが、旧道が現役だった頃からあったんだろうか?…そんなことはないか。じゃ、その広場へはどうやって降りていくのかと言うと…

実はこうなっている。路肩の斜面を降りれるように、登山道のような丸太の土留めで造られた簡素な階段があるのだ。この階段は小国側から来ると石垣が始まる地点に設置されていて、ある意味目印にはなるだろう。ここから辺りを見回してみると、こんな風景が広がる。



最初の画像は左側を見たところだ。遠くに横根トンネルの出口と、それに繋がる鉄橋が見える。手前の緑色の橋が米坂線で、奥の赤い橋が現道の横根橋だ。水面から路面まで結構な高さがあるように思えるが、羽越水害の際は路面を越えたんだろうなと思う。だからこそ、ここから見える横根橋と、それに繋がるスノーシェッドはあれだけ嵩上げされたのだ。
チェンジ後の画像は右を見たところ。簡素な階段を下りてくると、荒川の水面が間近に迫る迫力の地点だ。右側に見える山が新緑や紅葉の季節には非常に美しいポイントの一つと思う。…なぜかって?。それは…

2019年5月3日 15:08 撮影

これは先ほどの地点から少し手前の旧道から、同じ方向を見たものだ。この画像中、真ん中より少し左の水面に近いところに沢が荒川に注ぎ込んでいるのが見えるが、これが先ほどの地点だ。春になるとこれだけ美しい風景を見せてくれるこの道、季節によっては風光明媚な道だったんだろうなと思う。
もちろん、梅雨の時季は長雨で土砂崩れだったり、雪の時季は雪崩だったりと災害も頻発していただろうが。
さて、旧道に戻って先へ進もう。

旧道に戻って、路肩から少し身を乗り出して撮影してみる。体重の大半がかかっている右足が滑ったら、斜面を滑って一直線に荒川に落ちることになるが、急流の荒川で水泳(しかも着衣泳)をする趣味は残念ながら持ち合わせていないので、足場をしっかりと確認しながら慎重にシャッターを切った。
ここから見ると、道幅は広かったんだなと言う気がする。ここが国道113号だった頃には未舗装だったはずだし、昔の車は車幅が今の車よりも狭かったので、対面通行は可能だったと思うんだけど…でもガードレールの類が何もないのよね、この道。それらしき跡もないし、夜に通るのは怖かっただろうな、ここ。

時刻は16時23分。太陽は山々の影に隠れ、若干だが薄暗くなってきた。目の前にあの第四荒川橋梁と青い向大沢橋が見えてきて、あと10分くらい歩くとこの旧道もゴールを迎える。この旧道に入ったのが15時少し前なので、およそ一時間半。遊歩道なのでヤブ漕ぎすることもなく、斜面を乗り越えることもなく、無事に完抜できた。
この旧道が八ツ口旧道のように管理されることのない道だったら…途中に沢が多い分、落石や崖崩れが多く発生していたかもしれない。

2019年5月3日 15:01 撮影

春にはこのように美しい風景が広がる、この旧道。現役の頃とは木々が伸びたりして様変わりしているだろうが、この道にはバスも通っていたようだから、その大きな体(ボンネットバス?)を揺らしながら未舗装のこの道を土埃をあげながら走ってくる姿を思うと、懐かしさもひとしおだ。


今は遊歩道として、春や秋の行楽シーズンには多くの人が訪れる横根トンネル旧道。そばを流れる荒川が氾濫せず、この道が遊歩道としてこれからも楽しませてくれることを祈りながら、この旧道を後にした。

一般国道113号
横根トンネル旧道

完結。