新潟県主要地方道55号
新潟五泉間瀬線旧道
間瀬隧道 調査編
2018年11月3日 探索・2018年11月10日 公開
この間瀬隧道を執筆するにあたり、当初はすべてを一本で書くつもりでいた。ところが、調べれば調べるほど長くなり、最終的に三本立ての思いがけない長編になってしまったのだ。ここからは締めくくりの調査編である。まずは現在の地形図を見てみよう。
今は国道402号が海岸線を走り、そこから県道55号が分岐して、更に間瀬隧道入口で県道561号が分岐して…と、多くの道が走っている。間瀬の町は、今は冬でも交通が途絶することもないだろう。では、昔はどうだったのか。それを調べるのも兼ねて、またこの付近の位置関係の確認も含めて、1911年(明治44年)の地形図を見てみよう。
昔は、間瀬村には他の町につながる道が一本しかなかった。
現在、海岸線を走っている国道402号は越後七浦シーサイドラインとも呼ばれる。この国道402号が走っている区間は、同じ新潟県の村上市にある笹川流れと同じように、海岸沿いの断崖絶壁を抜ける難所の区間だった。それを解消するためにこの道が計画されて1971年(昭和46年)に着工。難工事の末に、この間瀬を中心として南側の寺泊町野積までが1974年(昭和49年)6月に開通、北側の角田浜までが翌1975年(昭和50年)7月に開通して、越後七浦シーサイドラインが全通した。
つまり、これより以前の1971年(昭和46年)以前は海側を通る道は、地形図を見て頂くとわかるが、断崖絶壁や砂浜、あるいは崖の上まで一気に登る未舗装の里道程度の道しかなかったのである。このことから間瀬村は、図中に間瀬越とある峠道がなければ、まさしく陸の孤島となっていたのだった。そして、この間瀬越の道が、現在の新潟県一般県道55号新潟五泉間瀬線となっている。
この他に、現在の弥彦山スカイラインが分岐する地点から間瀬越と山を囲むようにして道があり、石瀬峠と言う峠を越えて岩室村に抜けられる道もあったようだ。だが、その当時は今よりも降雪量も多かっただろうから、冬になると間瀬越も石瀬峠も通れなくなっていたのかも知れない。そうなると間瀬村は冬季には完全に孤立することになってしまう。
当時から車道だった間瀬越だが、よく見ると間瀬越の道は石瀬峠に向かう道が分岐した直後に急に右に曲がって崖の記号がある真下を通り、更に左に急カーブして今の道筋に戻っている。最初の右カーブのところで真っ直ぐ進むことが出来れば良かったのだろうが崖に阻まれ、それが出来なかったのだろう。道はひとまず崖の下を通したが、落石などを考えるとやはり危険である。もしかすると、崖崩れが頻発したのかも知れない。そこで崖を貫く形で隧道が掘られ安全が確立し、間瀬村の冬の孤立状態を解消したと思われる。間瀬隧道が完成した当時の間瀬村の方々の喜びが、目に浮かぶようである。きっと、大喜びだったことだろう。
ちなみに石瀬峠はどうなったかと言うと、現在の県道561号が当時のルートを辿っている(途中で多少外れるが)。しかしこの道は峠の直前で弥彦山を目指して急カーブするという、実にいじわるな変なルートを辿っている。地図上では、現在の道が急カーブする地点から歩道(登山道)程度の道はあるように記載されており、頂上からしばらくは破線だが、途中から実線に変わる道が続いている。この道がもともとの石瀬峠越えの道で、麓の石瀬集落を目指してほとんど真っ直ぐに(等高線を無視するかのように)山を下っている。
ところでこの付近には、東北電力が建設を計画した巻原子力発電所の関連から、このシーサイドラインの角海浜のあたりの道路が変に山側に迂回していたり、角海浜の集落全部が移転して廃村になったりといろいろあるのだが、それはまたの機会にお話することにしよう。
ただ、この角海浜に廃隧道が一本あるのを確認している。この隧道は、角海浜隧道と言う名前らしいが、現在はそこへ到達する市道が崩落しており、その市道の入口にバリケードと監視カメラが設置され通行止めになっている。しかし、何とかしてたどり着きたいと思っている。
今回は間瀬隧道だったが、こうして出会った道の殆どに、深く調べてみると何かしらの知られざる物語がある。旧道や廃道、廃隧道など様々な道を探索する中で、こういった道に関する物語を探して紹介できたらいいなぁと思っている。
「人がいて、日常があるところには、必ず道がある。そして、その道は大切な誰かのもとへ、必ず繋がっている」
新潟県主要地方道55号
新潟五泉間瀬線旧道
間瀬隧道
完結。