新潟県主要地方道17号
新潟村松三川線旧道
高石第一隧道・高石第二隧道
第2部
2019年3月25日 探索・2019年4月23日 公開
この画像を撮影した時に不思議に思ったのだが、右側の山側の側壁が中途半端な位置で切れている。この時はなぜなんだろう?と思ったが、あとでまとめて机上調査しようと思っていたので、この時は特に気に留めることもなくスルーしてしまった。が、後から考えると、ここでの観察が足りずに、もう一度ここに赴くことになるのである。
ふと左側を見ると、枯草に埋もれたガードレールが見える。これを見ると、元の路盤にはかなりの厚さの枯草が積もっており、もちろん枯草の下には旧道のアスファルトが眠っている。だが積もった枯草の厚さは、この道が廃道になってからかなりの年月が経過していることを物語っている。この年月の中には、もちろん高石第一隧道も眠っている。
その場所がこことは限らないが、どこであっても必ず見つけたい。今は無き高石第一隧道を。
視線を少し右にずらすと、阿賀の豊かな山並みと枯草の山が目の前に広がる。この旧道は忠実に川岸をトレースして、隧道で岩山を貫いて、川岸の道の立場を貫いていた。さ、ここから右を見ればすでに坑口が…見えるかな?
見えた!。あれが高石第一隧道と間違って理解されている、高石第二隧道の高石側坑口だ。入口にはロックシェッドがあって、その奥に坑口があるようだ。貫通している出口の明かりと風景がこんなに鮮明に見える隧道は、そうないだろうと思う。坑口に向かう逸る気持ちを抑えて、周りに注意しながら慎重に進んでみよう。
相変わらずの枯草に覆われた路面で非常に歩きにくい面もあるが、冬枯れしているので夏に比べれば天国である。おかげで、隧道以外の道路施設もよく観察することが出来そうだ。隧道の入口はロックシェッドに覆われており、まだまだ現役で使えそうである。手前にある小さく盛り上がっている部分は、おそらく右の山側が崩れた跡だろう。
崖の上を眺めると、やはり崩れている。落石防止ネットはあるが、それを越えて路面に土砂が流れ込んでいる。もしかするとこの道は、現役時代からここでのがけ崩れが頻発していたのかもしれない。さて、高石第一隧道はどこにあったのか…。ここにあったとするなら、開削された可能性も…と思いながら、第二隧道に近づいていく。
おや?、この路肩にある欄干のようなものは、橋ではないだろうか?。橋だとするなら、沢を渡っている可能性が大きい。欄干の付近を探してみたが銘板などはなく、欄干があるのも川側だけである。後で対岸から撮影してみることにして、まずは隧道の中に入ってみよう。
ロックシェッドに覆われた坑口はコンクリート吹き付けが行われているものの、素掘りである。ロックシェッドは頑丈なもので今のところ損傷などはなく、高石第二隧道の坑口を立派に守っている。左側の柱に何か表示があるように見える。近づいて見てみよう。
ここが県道であることの証、付帯する道路施設に「新潟県」の文字。やはりここは一般県道17号の前身である、県道村松高石線だった。この隧道、役目を終えてからどのくらいの時間が経つのだろう?。反対側の村松側の坑口には「昭和33年7月竣功」とあるので、少なくともその時までは使用されていた。また、昭和40年代にはまだ使用されていたのではないかと思われる。
それでは、入洞!
一歩足を踏み入れた感じは、中は結構狭い。昔の軽自動車でやっと対面通行できるかどうか。現代の普通自動車なら、一方通行になるくらいの狭さである。しかも、隧道の先を見てみると、途中から履工が見える。こんな結構風変わりな隧道をどこかで見たことが・・・
そうだ。村上市の国道345号にある、松陰第三隧道もそうだった。
隧道内部は現道として管理されなくなってからかなりの時間が経つのか、結構荒れている。路面にはここからでも見えるが、若干の落石が見えたりする。念のため、ヘルメットを被った。
高石側入口の素掘り区間を過ぎて、履工区間に入る。巻きたてられたコンクリートが湧水によって崩壊し始めているのか、路面に細かい石などが散乱している。天井からは、隧道内の照明器具に使用していた名残の電線らしきものがぶら下がっている。
天井からの落石に注意しながら履工区間を過ぎて、また素掘りのコンクリートが吹き付けられている区間に戻ると、そこには・・・?!