隧道の落書き

隧道の落書き

2020年7月5日

旧信越本線碓井第十七隧道

旧信越本線碓井第十七隧道 東側坑門
この画像は「くるまみち」様のWEBよりお借りしました。
ありがとうございました!

昨年の話になりますが、国の重要文化財に指定されている鉄道隧道の「旧信越本線碓氷第十七隧道」の内壁2カ所に落書きがされていると報道がありました。

この碓井第十七隧道に限らず、この旧信越本線碓井峠に残されている隧道は、日本にとって非常に貴重な建造物の一つです。今、同じように作れと言われても作れないかもしれない、いやきっと作れない、そんな建造物です。
この碓井第十七隧道と同じように、この碓氷峠にはレンガ造りの四連アーチ橋梁「碓井第三橋梁(うすいだいさんきょうりょう)」、同じくレンガ造りの五連アーチ橋梁「碓井第十三橋梁(うすいだいじゅうさんきょうりょう)」もあります。この碓氷峠の一連の鉄道遺産はその全てが明治時代に作られ、世界遺産への登録も目指していると聞きます。

今の技術では作ることの出来ないこの産業遺産を残したいものですが、そんな建造物を構成しているレンガに落書きと言われるものを描くと言うことは、レンガに塗料を染み込ませると言うこと。それを元の状態に戻そうとするのは不可能に近いことなのです。それを戻すには削るしかありません。同様に、彫り込むのも同じことです。一度やってしまえば、取り返しがつきません。

旧信越本線碓井第十七隧道 西側坑門
この画像は「くるまみち」様のWEBよりお借りしました。
ありがとうございました!

彫り込みや落書きをする皆さん。こうした貴重な建造物に描くなら、ホームセンターでベニヤ板でも買ってきて、それに描いてはどうでしょう?。それなら誰にも迷惑はかけないし、もしかすると描いたその絵の才能を誰かに発見されて、それが高値で売れるようになるかもしれません。
誤解のないように書きますが、私は決してスプレーで描く方々を頭ごなしに否定しているのではありません。ただ、描く場所が問題だと伝えたいのです。そこに描くから芸術だと、主張が出来るのだという方もいらっしゃるでしょうが、やっていい場所と悪い場所がある。描こうとしている建造物が、もし自分が作ったものだとしたら、それでも許すことが出来るでしょうか。

スプレー一本であれだけの絵を描けるのだから、それは大したものですし、尊敬します。
自分でも呆れるほど絵がへたくそな私は、下書きもなく絵を描くなんて到底できませんから、それは素晴らしい才能だと思います。しかし、その才能は使い方を間違えると犯罪者になってしまうし、逆にうまく使えば「未来の巨匠」になるかもしれない。その才能を埋もれさせてしまったり、批判の的になってしまうのは私からすれば非常にもったいないし、その才能に対して失礼だと思います。それが個人の表現方法と言うのなら、正々堂々と胸を張って表現できるように、筋はきっちりと通しましょうよ。

犬鳴隧道

福岡県一般県道21号福岡直方線旧道 犬鳴隧道 扁額
この画像は「tunnelweb」様のWEBよりお借りしました。
ありがとうございました!

実は、この文章は昨年の6月に書いたものです。公開しようかと迷っていたところ1年以上の時間が過ぎ、そこへまた同じようなニュースを目にすることになりました。

福岡県の久山町と宮若市を結ぶ、福岡県一般県道21号福岡直方線の旧道にある「犬鳴隧道」。
この旧道は犬鳴連峰を越える峠の一つでヘアピンカーブが連続し、狭いトンネルをくぐる交通の難所でしたが、1975年(昭和50年)の道路改良により「新犬鳴トンネル」が開通、この時に道幅も広がって難所は解消しています。ここは「なぜか」心霊スポットしても有名であるのと同時に、最近になってこの犬鳴峠の先にあった村を題材とした映画が公開されたために、迷惑行為をする輩が増えてしまい、この隧道の1キロ手前から立入禁止になっています。
実はこのサイトのプロフィールを見て頂けるとお分かりいただけるように、私は福岡県出身ですのでこの犬鳴峠のことも知っています。当時から心霊スポットとしての噂があったことを覚えています。

ですが、この犬鳴峠は調べてみると非常に歴史がある峠です。
この犬鳴峠はもともと久原越えと言われ、江戸時代初期の1615年~1623年(元和年間)に開かれたにも関わらず、昭和初期ごろまではこの峠が非常な悪路であったために利用者がほとんどなく、地元の人たちからも重要視されていない峠道でした。このため、地元の住民は福岡や博多へ行くときは犬鳴峠ではなく、付近の猫峠や薦野峠を越えていたようで、あまり目立たない峠だったようです。

ここでの主人公になる犬鳴隧道(いぬなきずいどう、通称:旧犬鳴トンネル)は1884年(明治17年)~1885年(明治18年)に福岡県糟屋郡と鞍手郡の連合組合会の決議において工事が着手されたものの、当時の工事技術の未熟さと、それに伴う莫大な工事費を要したため、工事自体が一時中止となりました。しかし1927年(昭和2年)11月に福岡県糟屋郡及び鞍手郡各町村会に於いて再び決議され、県に犬鳴道路の陳情を行うことになります。その中心となる犬鳴隧道を含めた福岡県道福丸箱崎線(現在の福岡県一般県道21号)が1949年(昭和24年)11月3日、遂に開通となりました。
細かな経緯は違いますが、新潟県にある一般国道351号の比礼隧道・榎峠に似ているような気がします。

この犬鳴隧道は、隧道全長を示した銘板が失われているため正確な隧道延長は不明ですが、地図上計測ではおよそ150メートル前後と見られます。もともとトンネル開通時でも峠道全体が森の深いところを走っているため、その道全体が薄気味悪い場所だったそうですが、そのような峠はこの時代には他県でもよく見られるものと思います。
この犬鳴隧道を含む旧道は、新トンネルへ付け替えられた後に閉鎖された旧トンネル経由の廃道と、その沿線に造られた犬鳴ダムの建設により水没した部分の2箇所がありますが、基本的に旧道と言えばこの犬鳴隧道経由の旧道を示しているものと思われます。今回ニュースになったのも、この犬鳴隧道の旧道にまつわるものです。

この犬鳴隧道と、その先に実際に存在してダム建設により水没してしまった犬鳴谷村をモチーフにした映画が公開されたのをきっかけに、この旧道に訪れる人が急増。ビールの空き缶やペットボトル、たばこの吸い殻など大量のごみが落ちていたり、隧道をふさぐブロック塀にもスプレーで落書きが多数描かれています。
それらのことから、本来なら峠道としても旧道としても非常に貴重な犬鳴隧道と、それに付帯する犬鳴峠旧道が立入禁止になってしまっています。


犬鳴村にまつわる都市伝説は全て事実ではなく、映画のモチーフとなった犬鳴谷村は非常に歴史ある場所であり、これらのことは少し調べればすぐにわかることです。
この犬鳴谷村は今でも福岡県宮若市犬鳴として地名に名を残す場所であり、映画は映画、噂は噂、都市伝説は都市伝説。その上で、この犬鳴谷村や犬鳴隧道は非常に貴重な場所・建造物として、後世に残さないといけないものは、きちんと残さないといけません。


ここで紹介した「旧信越本線碓氷第十七隧道」や「犬鳴隧道」だけに限らず、同じような隧道や橋梁が日本全国にたくさんあります。この貴重な隧道や橋梁を後世に繋ぐために、大切にしましょう。
二度と作ることが出来ない、建造物の為に。

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