山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 旧尾浦橋
第2部
「萌黄色につつまれて」
2023年10月14日 探索 2024年6月2日 公開
萌黄色につつまれて
今回は、ここからスタートする。このシェッドは旧尾浦橋を渡って右に行くとすぐにあるシェッドだ。前回の最後で旧尾浦橋の前に止めた車を紹介したが、これはその車を止めた地点から眺めた風景だ。旧尾浦橋が県道だったのと同じように、このシェッドも旧道の名残りの一つで、どことなく大針洞門と構造が似ている点や、その前後にある擁壁の雰囲気などが大針洞門と酷似しているようにも思える。一つだけ違うのは、大針洞門が既に廃道になっているのに対して、この洞門はまだまだ現役だと言うことだ。それは、旧尾浦橋の前を通った先に集落があり、その集落への道として使用されているから。廃道上にあるシェッドと現役で使用されている道路とでは、こんなにも道の状態が違うものかと改めて思った次第だ。
シェッドの山側となる左側の側壁を見てみると、このような銘板が取り付けられてあった。どうやらこの道は現道の尾浦橋が完成し、県道指定がそちらに移った後に管理̪主体が鶴岡市に移り、鶴岡市道下田沢松沢線となった。その際にこのロックシェッドも管理が鶴岡市となって、補修工事を経て現在に至るようだ。そのシェッドの名称は「松沢シェッド」。ロックシェッドなのかスノーシェッドなのかアースシェッドなのかは不明だが、平成30年11月に改修を受けたと言うことは、およそ10年以内に改修されたと言うことになる。まだまだしばらくは現役でいることだろう。
その松沢シェッドの中を撮影したのが、この画像。ここも旧県道と言うことで、道全体の雰囲気が大針洞門と非常によく似ている。違いは、道全体が明るいこと。こうして通っていても、なんとなく清々しいのは気のせいか。いや、気のせいだな、きっと(笑)。シェッドの右側は赤川(大鳥川)。これまでの川の雰囲気とは違って、ここが一番川幅が狭くなっているようでもあり、なかなかの渓谷美となっているようだ。高いところはあまり得意ではないが、少し覗き込んでみようかな。
…と言うことで覗き込んでみたものの、手前の木々に阻まれて何が何だかわかりゃしない画像となってしまった。ただ、画像下側に地味ながらも木々の隙間から赤川(大鳥川)の水面が見えるのにお気づきだろうか(わからなくても当たり前だと思うけど)。ガードレールも路肩にあるし、よもやこの斜面を車が落ちていくことはないと思うけど、なかなかの高さがある。実際に見た感じでは川の様子がもっとはっきり見えていて美しい風景だが、人の手が入っていない自然のままの木々が織りなす光と色の調和は、こうして画像として見ていても実に美しい。
シェッドの中から赤川(大鳥川)の風景を堪能して、また道に戻る。シェッド自体の延長は300mもないため(銘板からの推測)、すぐに通り終えてしまうが太陽の光の加減もあって、傾きかけた太陽の光と青空、木々の緑のコントラストが非常に良く、旧道を辿っていると言うよりも散歩しているような感じで、非常に心地よい。なにせカーブミラーも支柱だけではなくて、ちゃんと綺麗なミラーがついているし。欲を言えば、高さ制限の標識がないのが少し残念なところではあるけど(笑)。
シェッドを通り抜けると、現道はもうすぐ目の前だ。少し先に現道が見えるのがおわかりだろうか。このように、旧道としてはさほど長くないが、やはり旧尾浦橋の存在はこの旧道にとって欠かせない。願わくば、ガードレールに付け替えられた高欄じゃなくて、竣功当時からの高欄が見たかった。竣功が昭和3年と言うことと、あの立派な親柱の雰囲気からして、高欄も見事なものだったんじゃないかと思う。
この年代の橋と言うと、数少ない私の探索の中ではあまり記憶に思い当たらない上に、橋のみの探索と言うと数少ないのだが、その中でも真っ先に思い当たるのは村上市の一般国道7号旧道上にある「名月橋」だろうか。この橋の竣功が昭和10年だ(ちなみにこの橋はレポートになっているので、興味があればご覧いただきたい)。その時代にこれだけ立派な橋を架けると言うことは、この橋がこの道にとっていかに重要な橋であったかと言うことに他ならない。この橋がどんな素性の橋なのかは気になるが、今はひとまず最後まで探索することに専念しよう。
次回、短い探索の終わりに見た景色は…!
第3部(完結編)へ