新潟県東蒲原郡阿賀町
角神隧道
2018年6月3日 探索・2018年6月17日 公開
2018年10月14日 加筆修正
まずは今回も地図から御覧頂こう。
新潟県東蒲原郡阿賀町津川の国道49号から、喜多方方面に国道459号が分岐する。
これを進んでいくと上の地図の場所に来るのだが、地図にある「向鹿瀬」の文字の左に、「角神隧道」と記載がある、いかにも不思議な隧道があることに気づくだろう。今回の目的地はここである。早速現地に向かうと…
と言うことで、現地。国道459号を素直に進んでいくと右側に見えてくる、こんな隧道。
山の斜面に突然と言っていいくらい、いきなり現れる。但し、気を付けていないと瞬く間に通り過ぎてしまって、わからなくなるので注意が必要だ。
それにしてもこの坑口、見るからに実にアヤシイ雰囲気を醸し出していて、なかなかソソられる隧道じゃないか。早速近づいて観察だ。
国道から正対して見ると、こんな感じ。
坑門はコンクリートで造られていて、一見すると何の変哲もない坑門だが、その坑門に貼り付けられたように取り付けられている「止まれ」の標識と、その隣には「速度制限10km」、更に「高さ制限1.8メートル」!。
特に 「速度制限10km」の標識は、今ではほとんど(と言うか、全く)見ない。しかも、隧道の入口で「止まれ」と言うのはどういうことだ。一時停止してから隧道に進入しろということか。なかなか楽しいじゃないか(笑)。
この道、公道ではあるようだ。それでは行ってみよう!
中に入って歩き出すと(今回の探索は徒歩だ)…カマボコ型断面の隧道は、あまり見たことが無い。それ故に、非常に新鮮だ。前方には反対側の坑口の光が見える。坑道は素掘ではなく、ちゃんと巻き立てと言うかコンクリで覆われていて意外ときれいなのだが、路面は茶色い泥に覆われており、濡れている状態だ。おそらくこれは湧水の影響だろう。おかげでこの茶色い泥が粘土状になっていて、やや滑る。この手の泥は衣類に付くと洗濯しても落ちないので、注意が必要だ。
反対側に無事に脱出して撮影してみた。左右の擁壁はしっかりと作り込まれていて、危険を感じさせない。左右を見比べると、左の擁壁の方が古いようだ。路面は相変わらず茶色い土に覆われている。
この隧道には銘板も何もなく、竣功したのがいつなのかも定かではない。何せ、扁額さえもないので、正式な隧道の名称さえ全くわからないのである。しかしこの隧道、何となく近代的な感じもするが…気のせいか?。また、こちらには、入った際の坑門にあった「一時停止」の標識がない。と言うことは、この隧道はこちら側から入る車が優先と言うことになるようだ。
隧道から出て左右を見回すと、辺りの景色は抜群に良い。
この坂を下りて右に行くと鋼製吊り橋の角神橋があるはずだが、今回は時間も差し迫っていたので行かなかった。ここはいつか再訪したい。
そして何気なく道の脇を見ると、傍らにこんなものがあった。枝村堰跡。
この文章を読むと、向鹿瀬は古くは山崩れが頻発し、それで阿賀野川の流れが変わり洪水が起き、田畑が流され荒涼としていた、とあるが、問題はこの後。文末から7行目、「左に村栄を教え長さ百九十四間の洞門を掘り」・・・とある。
百九十四間。これをメートルに直すと、およそ350メートル。この角神随道はおよそ300メートル以上。長さ的には同じくらい。洞門(どうもん)とは隧道(ずいどう)の古い言い方で、主に手堀りの隧道のことを指す。
これは根拠のない仮説だが、もしこの百九十四間の洞門が後世に改修されて、角神隧道になったとすると、この隧道はそもそも180年前に掘られたということになる。もしそうなら、古豪の隧道ではないか!。明治を過ぎて江戸時代になる。
そういえば、この隧道は断面も少しおかしい感じがする。通常、隧道は山の強大な土圧に耐えるために半円形(鉄道用だと馬蹄形)の断面を持つのが普通だが、この角神隧道はかまぼこ型。まるで冬季に発電所の点検で使用する履道か、水路のような隧道…ん?水路?
180年もの間、ここに隧道があり続けたとしたら。
しかも、それが今の向鹿瀬の基礎を作った隧道だとしたら、とても貴重な隧道ではないだろうか。
その根拠は何もない。しかし、そんな遥かな過去へ思いを馳せることが出来る隧道は…
新潟県東蒲原郡阿賀町
角神隧道
完結。