一般国道345号
楠トンネル旧道

第11部(完結編)
「小国街道と雷道」

2024年5月18日 探索 2024年7月28日 公開

小国街道と雷道

さて、楠トンネルを抜けて下り坂の現道を気持ちよく下りてきた。このためだけに自転車を連れてきたようなもんだ。思った通り、漕がずにそのまま下ってくるというのは非常に気持ちよく、最初の地点に戻ってきた。これから後は今回の探索の起点となる菅野代橋のたもとに停めてある、ベースとなっている車に戻るだけだ。正直、すっかり汗だくになってしまった衣類を早く着替えたい気持ちが大きい。元来、汗っかきの私は最近になって特に酷くなってきたようで、私も無事に半世紀と少し生きてきて、身体が変化しつつあるのかもしれない。

一たび探索をすれば着替えは必須だ。特に今回の探索のように集中して複数個所の探索を行うとなると、着替えの衣類だけでも半端な量ではなくなってしまい、トートバッグ一つ分にもなってしまう。でも、やっぱり着替えるとスッキリするし…中年は何かと大変だから気を付けないといかんのだけど…やや面倒でもある(笑)

この画像は最初で紹介した画像と同じだ。初回で私は「もしここを自転車で通っていたら、太陽の光を遮るものが何もなく、おまけにご覧の通りの結構な坂道で、私は落ちたであろう脚力のリハビリ期間中と来ているから、体力が大幅に削られたであろうことは間違いないと思う」と書いたが、まさかここを再び通ることになるとは思わなかった。…いや、通るのは一向に差し支えないが、問題は自分で予告した通り自転車に乗っているということだ。

…案の定、脚力のリハビリ期間中にも関わらず、こんなになだらかで長い坂(こんな坂を長坂という)を自転車で上がってしまったもんだから、体力が削られてしまったことは明らかだ。ここは早いことベース地点に戻ろうとしていて、何気なく路肩を見ると…!

標柱ではないかっ!

この探索で初めての標柱だっ!。そこには今でも彫り深く刻まれた「山形県」の文字。この道が誰の管理下に置かれているかを明確に示すものであり、私の探索において道標になるもの。最後の最後で出会えて非常に嬉しい。ちなみに奥はこの道でのポピュラーなアイテム(?)となった耕作放棄地だ。その端っこに立っているこの標柱、見つけられてよかった。この道が国道だった証なのだから。

※この国道345号は直轄国道ではないので、その管理は都道府県で行われている。この国道は現行の道路法(昭和27年法律第180号)に基づく一般国道の路線として、1974年(昭和49年)11月12日の政令によって第3次追加指定され、翌1975年(昭和50年)4月1日の施行によって国道に昇格した。路線指定当初は村上市~山形県飽海郡遊佐町(国道7号交点)間の国道指定を受けていたが、村上市以西については1981年(昭和56年)4月30日の一般国道の路線指定公布、翌1982年(昭和57年)4月1日施行を経て、それまでの区間に新潟市~村上市を追加するかたちで新潟市~山形県飽海郡遊佐町の間が再度指定された。新潟市~胎内市間は国道113号と重複しており、起点は国道113号と国道350号の起点にもなっている新潟市中央区の本町交差点と思われがちだが、実はこれらとは異なり、新潟市中央区万代三丁目の東港線十字路交差点である。

標柱を見て満足したあとで立ち止まって反対側を見ると、こんな風景が目の前に広がっていた。澄み切った青空に連なる山々、その麓に広がるこの景色…実に美しい。自転車を停めて思わずしばらく眺めてしまった。しかし相変わらず暑いのは変わらない(笑)。
最近は新潟県を出て山形県や福島県に足を延ばしているが、県が変わると風景や街並みや畑、山々の印象も変わってくるので非常に面白く感じているし、それが実に楽しいもんだ…と思いながらこの景色を眺めていると、なんとこっちの道端にも見つけた!。

ここにも標柱が!

彫り深く刻まれた「山形県」の文字。国道113号の弁当沢トンネル旧道で見つけた標柱よりは新しそうだが、そりゃ道の歴史がそもそも違うから当たり前だ(国道113号の方が圧倒的に歴史が深く、国道113号はなんといってもあの土木県令の三島通庸が拓いた小国新道(おぐにしんとう)が元になっている。その標柱は「県」の文字が旧字体の「縣」になっていた)。標柱の脇には赤い頭の木柱が。それに標柱も真新しい赤いペンキで頭の部分が塗られている。となると…この道は今でも山形県の管理下にあるのかな?…などと想像は膨らむ。

非常に天候に恵まれ、初夏にも関わらず「暑い」と感じてしまうほど、日差しに恵まれた今回の探索。ベース地点に戻ってきた。楠トンネルの開通が、トンネルの銘板を見ると1995年(平成7年)11月ということだから、今からおよそ30年前。その長い間、山中に旧道として残っていたこの道は、今でも立派に通行できるほど(菅野代側は多少手入れが必要だが)、現道当時の姿がよく保たれた道だった。きっとこれからもこうして山中にひっそりと残り、時折私のような探索者をたまに通しながら、残っていくことだろう。

さて、ここからは机上調査編だ。この国道345号を調べていくと、ある街道にたどり着く。その街道の名は小国街道。またの名を出羽街道とも呼ばれる道で、山形県ではこの国道345号に、新潟県に入ると国道7号に一部が重っている道筋で、海岸沿いの鼠ケ関(ねずがせき)を経由していた羽州浜街道と並行していた。庄内と越後を結ぶ山中の道として、越後では出羽街道や山通りと呼ばれていた。

小国街道という名前を耳にすると、思わず西置賜郡の小国町を連想してしまう方も多いと思うがそうではなく、この街道の途中に山城の小国城があり、小国関所もあった「小国」という城下町を通るためだった。この街道は、現在の国道345号を鶴岡市から村上市方向へ進んでくると、途中の「木野俣」という集落から小国街道の本道と、間道である「雷道(いかづちみち)」に分岐する。

本道は木野俣から現在の山形県一般県道348号温海川(あつみがわ)木野俣(きのまた)大岩川(おおいわかわ)線に入ってしばらく進んだ、山間の城下町である小国から左折し、西田川小国簡易郵便局の前を通って宿場町の雰囲気を色濃く残す町並みの中を進んでいくと、やがて道幅が1車線しかない狭い林道となって山中に突っ込んで行く。この道をさらに進んでいくとやがて角間台峠(かくまだいとうげ)を越えて今度は下りに転じ、山間の集落である「小名部(おなべ)」で再び国道345号と交差する。この「小名部」という集落、どこかで耳にしたことがある方も多いだろう。そう、レポートにもなっている小名部トンネル旧道で登場してきた、あの小名部だ。ようやくここでつながった。

この小国街道の本道は小名部で国道345号と交差すると、今度は山越えして堀切峠を通って新潟県に入り、小俣(おまた)という集落にたどり着く。この小俣もまた耳にしたことがある方が多いかもしれない。そう、この小俣は日本国トンネル旧道のレポートで登場してきた、あの小俣集落だ。
この小俣で新潟県主要地方道52号山北関川線と交差した小国街道は、再び林道となって小俣峠を越え、中継(なかつぎ)の集落で新潟県一般県道248号山熊田(やまくまだ)府屋(ふや)停車場線と交差、そのまま進むと今度は新潟県一般県道249号北中(きたなか)府屋停車場線に合流、雨坂峠を越えて北中の集落に入り、ここでようやく国道7号に合流する。これが小国街道(出羽街道)の本道だ。鶴岡から辿ってくると、途中に大日坂、鬼坂峠、楠峠、一本木峠、角間台峠、堀切峠と山坂が多く道幅も狭かったが、越後までの距離が短く、羽州浜街道に海からの高波が押し寄せる時季には、この小国街道がよく利用された。

この本道に対して雷(いかづち)を経由する間道は、前述の木野俣の集落からそのまま国道345号を辿って関川の集落までくると、今度は山形県主要地方道52号となって雷峠(いかづちとうげ)を越え、新潟県に入ると再び林道となって大日峠を越え、山間の集落である山熊田(やまくまだ)を目指す。この雷から大日峠を経て山熊田までの区間は林道とは別に徒歩道があり、正しくはこの徒歩道が間道のようだ。このあと、この間道は新潟県一般県道248号山熊田(やまくまだ)府屋(ふや)停車場線となって進み、中継の集落で本道と合流する。 


どこか「普通の峠道ではない」と思わせる雰囲気を持っていた楠峠。
実は小国街道(出羽街道)と呼ばれる、あの松尾芭蕉も通った道の一部だった。深い山並みを通り、いくつもの峠を越えて越後と庄内を結んだ街道の一部である、この峠道を辿れてよかった。今回、最後の机上調査編で明らかになった出羽街道の道筋。いつか辿って、レポートにしてみようと思う。

一般国道345号
楠トンネル旧道

完結。