一般国道113号
旧下杉橋
2019年6月15日 探索 2021年5月1日 公開
狭い場所に三本もの橋
このサイトではすっかり有名になった、一般国道113号。
飯豊町から小国町へ向かって走ってくると、あのすっかり有名な「新宇津トンネル(宇津峠)」を越えて最初の集落が間瀬と言う。私の本拠地の新潟にも海沿いに「間瀬」と言う地名があり、何となく親近感が湧いた。その新潟の間瀬には「間瀬隧道」と言う隧道があり、私もレポートしている。
それはさておき、この間瀬と言う地名を角川地名大辞典の東北地方で調べてみたものの、その先の沼沢集落の字名としか記録がなかったが、近くに間瀬川と言う川が流れており、この名前が字名となったものだろう。
そして、この間瀬川と桜川が合流する地点が沼沢集落だ。と言うことで、ここでおなじみ地理院地図を見てみよう。
右が飯豊町、左が小国町方向になる。私は今、右からやってきて左に抜けようとしているところだ。
緑で記されている「遅越トンネル」の下の方に「盗人沢」と言う地名が見えて、ものすごく惹かれるが、今回はレポートの主人公である下杉橋に行こう。その場所は画像中心に見える「遅越」と言う地名がある付近なのだが、正確な場所が今一つわからない。
ただ、国道113号でこの辺を気を付けて走っているとすぐに目に留まるので、見落とすことはないだろう。
と言うことで現地。今は下杉橋の飯豊町側にいる。左側に見えるのは米坂線の杉橋。右に見える赤い橋は現道の下杉橋だ。旧道の下杉橋は、その間の狭いところを縫うように存在している。もちろん、こうなったのは現道の下杉橋がこんなところに架けられてしまったからなのだが。
ところで旧下杉橋は現在も使われているらしく、橋の前後の路面にはダブルトラックがついている。だが、この旧下杉橋の前後の道は橋の前後で現道から分岐して、またすぐに現道に合流してしまうという不思議な道形になっているのだ。しかし、どんな形にせよ古い橋が残っていると言うことは嬉しいし、こうして使われていればなおさら。
では、早速この橋の周りをウロウロしてみよう(笑)。
まずはおきまりのコマンド「接近してみる」を実行だ(笑)。
古い橋独特の頼りなさそうで程よく(?)風化した低い欄干に、狭い道幅。もちろんこの橋の前後の道は未舗装で、往時の国道113号の面影を残してくれている。ここに立って眺めていると、未舗装の道を進んできてこの橋を通っている車や歩いている人の姿が見えるようだ。この橋はいつ造られたものだろう?。まずはそこからで、親柱を探してみるもののこちら側の左の親柱は失われているようだ。では右側はと言うと…
おっ!、あったあった。すっかり角が取れて丸くなってしまった親柱にはめ込まれた、今では造られることはないであろう大理石の立派な銘板に「昭和七年」の文字が見える。昭和7年と言えば1932年。第10回ロサンゼルスオリンピックが開催された年だ。実に今(2021年)から89年前。親柱の右側に風化した姿を見せてくれている鉄筋は、あの丸鋼。その歴史を感じさせてくれる。
丸鋼とは、単純に丸い鋼材のこと。鉄筋コンクリートに使う鉄筋は以前は丸鋼だったが、コンクリートの付着力に乏しいために鉄筋の表面にリブや節が付いた異形鉄筋が開発され使用されるようになる。現在は、鉄筋として丸鋼が使われることはほとんどない。但し、丸鋼は鉄筋に使用不可ということではなく使用することは出来るが、異形鉄筋と比べると性能が劣るため、敢えて使うことが無い。(一般国道113号旧道 木附橋より)
欄干を見てみると、その意匠は三角形を上手く配置した、あまり見かけない趣のあるデザインだ。欄干の上部の一部は欠けてしまっていて、中から鉄筋が見えてしまっている。これも風化で欠けてしまったものだろうが、その鉄筋はやはり丸鋼だった。この橋と、隣に架かっている米坂線の杉橋ではやはり造りが違っていて、その進化を感じさせてくれる。
チェンジ後の画像は、その欄干を拡大してみたもの。この欄干の構造がよく見える一枚だ。
プラットトラス
続いて現道の下杉橋から旧下杉橋を見てみたら、この橋の下部構造が見えたのだが変わった構造で驚いた。橋の下にプラットトラスが組まれている。構造から言うと上路トラス橋になるだろうか。それに鉄骨が組まれているのは桁だけではなく、橋脚の一部も鉄骨で組まれている。う~ん、この姿はなんとなく違和感があるなぁ…。
欄干を見てみると米坂線側と違って、欄干に開いている穴が四角形になっている。つまり橋の左右の欄干でデザインが違うということで、実に粋で思わずニヤリとしてしまった。
それにしても、この橋脚がなんか変だ。うん、おかしい。
現地でこの橋脚を現道の橋から眺めながら、う~んと唸っている中年男の姿も傍から見ればやっぱり変だ(笑)。
これ、もしかして何かの理由で橋脚が傾いてしまい、橋桁が支えられなくなってしまったのではないか。それで応急的に桁の下にプラットトラスを組んで上路プラットトラス橋とし、そのトラスに傾いた橋桁の下を残して途中を切り取り、代わりの構造体として鉄骨で組み上げて橋を支える構造にした。う~ん…もう少し横から見てみよう。
このトラスが後付けだとすると、最初はどうだったのか。橋桁の下部は真っ平のようだし、落ち着いて考えてみると、残った橋脚の下半分(と仮定しての話だ)に鉄骨を差し込んで固定するってのもワイルドすぎる気がする。そうなると、この下杉橋はやはり最初からこの姿だったのか。
正解はわからないが、どちらにしてもこの下杉橋が非常に珍しい橋であることは間違いない。
もう一度、飯豊町側に戻って眺めてみる。この狭い感じがいい。この橋が現役時代だったころには実に美しい橋だっただろう。右が四角で左が三角と言う、左右で意匠が違う欄干が綺麗な姿を保っているうちに、この橋を見たかった。
おそらくだが、この橋は基礎がトラス橋の構造をしていたために、竣功から現在まで89年間もここに残っていられたのだろう。そしてこれからも出来る限り残って、楽しませてくれますように。
一般国道113号
旧下杉橋
完結。