一般国道113号旧道
子子見片洞門
2019年5月3日 探索 2019年9月21日 公開
一般国道113号は新潟県新潟市中央区を起点とし、福島県相馬市を終点とする、総延長239.1キロの一般国道である。途中、山形県南陽市、宮城県白石市を経由しているが、山形県西置賜郡飯豊町から新潟県岩船郡関川村までの区間は、これまで幾度かの経路変更を経て現在の道筋になっているため、旧道や旧旧道が多く存在する。これは旧道を探索する者にとっては天国ともいえるのだが、その中には今では通行できなくなってしまった旧道も多く、これらも含めてすべての旧道を追ってしまうと、中には道なき道を踏破しなくてはならないところもあり非常に危険なことになりかねないので、場所を選んでお送りすることにして、今回はその第1回。
山形県西置賜郡小国町の名勝「桜川渓谷」にある、今でも存在すること自体が非常に珍しいとも言える「片洞門」をお送りしよう。
この道を車道として開通させたのは、三島通庸(みしまみちつね)。あの土木県令である。この探索の前に一般国道49号の宝川白坂区間や鳥井峠を書いていたこともあって(この区間も三島の作品)、私の中では「またお前か!」と言う気がしているが…(笑)
越後街道と会津街道、小国新道
さて、米沢から越後を結ぶ道は「越後街道」と呼ばれていた。越後街道と言うと、国道49号の街道も越後街道と呼ばれているから非常にややこしい一面があるが、国道49号の場合は別名「会津街道」とも呼ばれていたようだから、それで区別していたのだろう。ここではこの113号の旧道を「越後街道」として話を進めていきたい。
では現地の地図を見てみよう。おなじみ、地理院電子地図の地図である。
今回の主役「子子見片洞門」は、山形県置賜郡小国町と新潟県岩船郡関川村を結ぶ、別名「小国新道(おぐにしんどう」のそばを流れる明沢川の桜川渓谷に存在する。この渓谷は、その美しい場所を想像させる名前とは裏腹に非常に険しい渓谷なのだが、この小国新道と呼ばれていた街道は、古くは越後街道と呼ばれ、1521年(大永元年)の開通と言われている道だった。
ところがこの道は朝日山系と飯豊山系の鞍部に沿って走っていたために、その途中に宇津峠や大里峠などいくつもの険しい峠を連続して越えなくてはならず、別名「十三峠」と呼ばれるほどの難所だったため、冬季になると豪雪で通れなくなってしまい、山形県と新潟県を結ぶ交通の障害となっていた。
これを解消しようとしたのが「土木県令」の異名を取る三島通庸で、彼は山形県の先々の未来のために「小国新道」と呼ばれる道路改修工事を計画し、1881年(明治14年)10月着工する。子子見片洞門が1883年(明治16年)に竣功、工事全体は1885年(明治18年)秋に竣功を迎えて小国新道が完成するが、その工事区間の中でも桜川渓谷のすぐそばを通るこの区間は、渓谷沿いの垂直に近い岩場を削っての工事となり、旧綱取橋を中心に上下流200メートルにわたって断崖絶壁の岩壁を開削して道路を通したもので、道路の天井に当たる部分の半分が洞門(トンネル)のようになっていることから、片洞門と呼ばれている。
片洞門の開通と現在
この小国新道の開通は、小国町はもちろん、置賜地方と新潟県との交通に大きな役割を果たすことになるのだが、この片洞門を初めて貨物自動車が走った際には、車の天井が閊えて(つかえる=当たってしまう)しまう状態だったため、片洞門の一部を切り広げる改修を受け、一回り大きくして大型車の通行を可能にした。
その後、1959年(昭和34)に現在の国道113号の綱取橋と子子見トンネルが供用開始となり、旧綱取橋を含む片洞門は旧道となって遊歩道となる。なお、桜川渓谷の片洞門は地図のように子子見片洞門と綱取片洞門があるが、今回ここで紹介するのは、すべて子子見片洞門である。
ところで、この「子子見」と言う文字は何と読むのだろう?。「角川地名大辞典」で検索しても答えは見つからなかった。「ここみ」「こごみ」など読めるが「しじみ」や「ししみ」とも読める。
私が最初に読んだのは「しじみ」だったので、ここでは「しじみ」とさせていただきたい。
正しい読み方が判明したら、すぐに修正する。
さて、事前調査の中で得た情報では、一部には現地は廃道となっているとの情報もあって、果たして今でも通行できるのか非常に不安だったりするのだが…ま、ここで考えていても仕方ない!。
ひとまず行ってみよう!