一般国道112号
早田川橋旧橋
 第3部
(完結編)
「静かに眠る橋」

2025年6月7日 探索 2025年8月6日 公開

静かに眠る橋

さて、長いこと時間がかかってしまったが、残り2本の親柱を見てみることにしよう。これまでの親柱と変わらず瀟洒な造りの親柱なのだが、白い大理石で出来た銘板がはめ込まれていた。その銘板には竣功年月が記載されていた。その竣功は1934年(昭和9年)3月。やっぱりこの辺、国道113号辨當澤橋(べんとうさわはし)の銘板と雰囲気が似ている。そういえば、なんとなく親柱の意匠も似通っている気がする。こんな形の親柱は、この時代の山形県での流行りだったのかもしれない(ただし辨當澤橋の親柱はここまで大きくない。架橋は辨當澤橋の方が後年(1941年))。

うおっ!左側にもこの看板が!。うーみゅ、今回も「通行上のお願い」なる看板が取り付けられている。この看板の下には何の銘板が入っていたのか…(多分、この橋が越えている川の名称が刻まれていたのだろうと思うが、定かではない)。隙間から覗こうかなと思ったけど、しっかりくっつけられているので、隙間からも覗けず…非常に残念。こうなったら、この橋の一番綺麗に見える場所を見つけてやろうと、周囲をウロウロしてみると…

橋を渡って、遠景を見てみる。橋のたもとには重量制限の標識が立っている。その制限は5トン。一見すると今でも立派で頑丈そうな橋だが、そこは1934年(昭和9年)3月の架橋、なかなかにロートルの域に入っているので、確かにこの橋は重量制限をかけておいた方が良さそうだ。この重量制限だと、この橋を通れるのは2トン積みくらいのトラックくらいだろうか。

ところで、やっぱりこの橋は少し離れたところから見るのが一番美人に見える(なぜ女性なのかは置いといて)。この位置から見てみると非常に趣のある風景だ。一般国道112号。最初は未舗装路、舗装されてからあとも数多くの車が行き交い、歩いている人もいただろう。今のように賑やかな道路ではない、どこかしらのんびりした道の風景が見えるようで、楽しい。

やっぱりこの橋で一番印象的なのは、この風景だろうか。新旧の橋が一つに入り、その対比が見れるのは、何かと参考になり、また勉強にもなる。これが技術の進歩なんだなぁ…と、改めて実感させられる風景だ。道の路盤の高さも上げられているところから見ると、この橋が架橋されている早田川は川幅が狭いのと、早田川が梵字川に合流する直前なので、水位が上がった際にバックウォーター現象で水位が上がって氾濫し、道が水没したことがあるのかもしれない。


バックウォーター現象…本川と支川の関係で、洪水時に本川(梵字川)の水位が高くなると、支川(早田川)の水が流れにくくなり、支川(早田川)の水位が上昇してしまうこと。背水現象(はいすいげんしょう)ともいう。
この現象で私の身近な例は平成23年7月新潟・福島豪雨での新潟県東蒲原郡阿賀町実川島(さねかわじま)集落の水害で、本川(阿賀野川)の水位が高いため、支川(実川(さねかわ))の水が合流できずに支川の水位が上がり、実川島集落が水害の被害にあった。この時、私は赤十字ボランティアとして実川島集落の救援に入るが、その道程で当麻トンネル旧道と遭遇している。


改めて早田川を覗き込んでみると、確かに川幅は狭い。今は清らかな清流が流れているものの、これがひとたび大雨などになると一気に水位が上がって濁流になるのかも。で、梵字川の流れが速いために早田川の水が合流できず、更に水位が上がって…考えられないことじゃないな。でも、今は梵字川の上流に月山ダムが造られているので、治水はされているから梵字川が氾濫することもなくなったのかもしれない。

旧二級国道の面影を色濃く残す道。昭和28年5月18日、政令第九十六号二級国道の路線を指定する政令で指定され、山形市と鶴岡市を結んだ112号は、1965年(昭和40年)4月1日に一般国道となり、その後1993年(平成5年)4月1日に終点の鶴岡市側を酒田市まで延伸した上で、一般国道112号(山形市 – 酒田市)として再指定されて現在に至る。重要な道路らしく、月山道路を中心として数多くのバイパスや局所改良を受け、旧道や廃道が多く存在しそうだ。

その一部だったこの橋も、今は現道の脇で静かに眠る。
懐かしき古の自らの姿を、現道に重ねながら。

一般国道112号
早田川橋旧橋

完結。