新潟県一般県道480号
山中上野線
 第2章 第5部
「緋色の想いの峠道」

2024年9月28日 探索 2025年9月19日 公開

緋色の想いの峠道

まるで庭園のような造りにも感じてしまう。峠の石垣の風景。石垣と、その上の美しい斜面、そこに生えている木々の雰囲気がとても良い。手前には消えかけた白線の姿も見えるし、綺麗に清掃された側溝も含めて、実に素晴らしい。今に比べて高さが低いその玉石積みの石垣は、昔の峠道の様相を今に伝えている。この道は三桁国道の旧道だけど、地域にとってみれば非常に重要な道だったことがよくわかる。それは文献として記録に残っていなくても、後世にこうして観察してみればわかるような気がするのだ。

斜面に沿って施工されている石垣の、その端部を見てみる。丸石がきっちり積み上げられて、高さもほとんど水平に近い。形も一定ではなく、大きさもバラバラの石。こうしてみると大きさはほとんど一定のようにも見えるが、実際に組み上げるとなると相応の苦労があっただろう。手間なように思えても、それだけの手間をかけてでも護りたかった道。今から60年前、いやもっとそれ以上前の道の姿が目の前にあると思うと、それだけでも感動するし、すごいことだなと思う。この道を造った人たちの熱い想い…緋色の想いとでも言おうか、道を造った人たちの想いは、今もこうしてこの道を護り、今も人や車を通して道としての役割を果たし続けている。

峠を越えると、あとは上野集落を目指して進む道。空は一気に明るくなり、道は右に左にカーブを経て、一気に峠を降りて現道の合流点を目指す。ここなんかは盛り土をして直線にしてしまえば道線がスムーズになるのになと思ってしまうが、きっちりと山肌に沿って道はカーブしている。これはその当時の道を造った方々の、地形の通りに道を通すという『誇り』と言うものだろうか。

木々の隙間から見えた景色。その景色は現道と、その脇に立つ建物を捉えていた。現道があんな近くに来ているので、この旧道ももうすぐ終焉を告げることになる。山中集落から辿ってきたこの探索、途中で間延びしてしまうことがあったりして、これは大いに反省しなくちゃいけないが、ひとまずゴールが近いと言うことで安心している自分がいた。
だけど、間延びしている部分でも、ひとたび災害が発生して道が崩壊でもしてしまえば、もう二度と見ることが出来ない景色がそこにある。実際、私も探索を行った道が通れなくなってしまっているところは結構あったりして、そのたびに寂しい思いをしたりしている。

右側は森のように見えるが、実はその下には現道がある。旧道はここから一気に高度を下げていき、「あら、こんなところで」と言わんばかりにスムーズに現道に合流しているのだ。この道が、元の国道252号。辿っていけばこの道は会津沼田街道となり、あの七折峠に辿り着く。そう、あの土木県令の三島通庸が造った道だ。その当時、どのような人々がこの道を通り、どんなドラマがあったのか。…タイムマシンがあったら、さかのぼって見に行ってみたいなぁ…。

いいなぁ、このカーブ。このヘアピンカーブなんか、素晴らしくない?。路肩に見えるガードワイヤーもピン!と張られた状態で、この道が現役で使われていることの証明でもある。美しく保たれた山側の斜面も最高に手入れされていて、実に美しい。自然の山の風景がここにあるんだけど…今は山の茂みからヌッとクマさんが出て来たりすることもあるから、注意が必要だ。探索しにくい時代になったもんだ…。

第6部(完結編)
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