新潟県一般県道470号
大室水原線 狭路区間
2018年9月18日 探索・2018年11月28日 公開
2018年の9月。秋晴れのさわやかな天気の日に、私は以前から気になっていた道路の交差点に立っていた。今回はさほど重いものではなく「へぇ~、こんな(変な)道もあるんだ」という感じで読んで頂けると幸いである。
今、私が立っている場所は新潟県阿賀野市の宮嶋と言う地区にある、県道55号との交点だ。
県道55号と言えば、古の道標では「間瀬隧道」が有名だろう。55号はこのあと国道290号と合流し、五泉市を抜けて日本海側の間瀬へ向かうのだが、それは別の機会にするとして、今私が立っている場所に青看板がある。この青看板がとっても衝撃的だったので、今回取り上げることにした。
また、今回はいつものカメラではなくスマホで撮影したため、見にくかったり粗かったりするが、ご容赦頂きたい。
では、その青看を御覧いただこう!これだ!。
どうした?!県道470号!(笑)
新潟県一般県道470号は、国道290号の阿賀野市、村杉交差点(旧笹神村)から阿賀野市の学校町交差点(旧水原町)を結ぶ、新潟県一般県道である。起点の村杉交差点からここまでは2車線の快走路である。また、終点の学校町交差点付近も道幅が広く快走路なのだが、どういうわけか、この青看板が立っている宮嶋地区から安野川の川沿いを一直線に進み、大荒川という川を渡り、境新田(さかいしんでん)と言う地区あたりまでが、なぜが妙に狭いのである。地図上で1.6キロくらいだろうか。
さぁ、それでは行ってみよう!
ここは狭路区間が始まる場所だ。御覧の通り、通常はあるはずの「幅員減少」や「最大幅」の標識も、見ればわかるという事なのだろうか、一切こちら側にはない。下手に突っ込んでしまって対向車が来ようものなら、脇を流れる川に向けて脱輪してしまうかもしれない。
幅員の狭さだけで言えば、県道506号岩沢中条線に比べればこの470号はまだまだだが、506号は一応山岳路線と言う名目があった。それに、少なくとも最大幅の標識「2.3m」はあった(実際はもっと狭かったし、漉野側にはなかったが)。それに比べ、こちらは平野のど真ん中である。
上の画像の奥にある右カーブを抜けると、こんな道である。
なるほど、入口部分だけが狭く、集落の中はそこそこの広さ(とは言っても車一台程度の幅しかないが)があったりするこの道は、昔からこの宮嶋地区のメインストリートだったのかもしれない。こういう農村部の集落には、左側に流れているような川が多くあったりするが、こういう風景は非常に懐かしく思う。
先へ進むと、このような長閑な風景が広がる。県道470号はここから田園地帯に突っ込んでいくのだが、この路面の荒れ方はなかなかのものだ。道幅もだんだん狭くなってくるではないか。実にいい感じだ。ただ、この左カーブを抜けると…
う~ん!長閑だ!
田圃の中を一直線に走る県道。こういう秋の高い空の下を走るのは、非常に気持ちが良い。田圃の稲は刈り取った後だが、畦道の緑が眩しく見えたりして、非常に長閑。…しかし、ひとたび路面の結構な荒れ方や、路側帯の白線のひび割れ方などを見ると、この道がとても県道とは思えなかったりする。
少し先へ進んでも、この調子で470号は終点目指して気持ちいいほど一直線に進む…のは良いのだが、路面の激しいひび割れ方にも注目だ。もう少し補修は出来ないものだろうか。…まさか、ここは県道じゃない?。いや、そんなことはない。この付近には畦道の他にはそれらしき道路は一本もないのだから。
明らかに狭い道を進んでいくと、やがて小さい橋に行きつく。その手前に「これでもか」と言うくらい、デリネータ(路肩に立っている反射材が付いた棒のようなもの)があるじゃないか。橋を架けた時についでに(と言っては語弊があるが)増やしたのだろう。早速確認してみよう。県道であれば「新潟県」の表示があるはず…
…やっぱり県道だったか(笑)
デリネータの文字「新潟県」は、最近のものだと丸ゴシックのような柔らかい字体になっているが、これは明朝体なので、最近のものではないようだ。先に進んで橋を渡ってみる。
おや?
この橋の橋名板を見た時に、一瞬考えこんでしまった。大野地上橋?。ならばこの橋、どこかに地下の橋も存在するのか?。それを確認するために、この橋の他の橋名板を見てみることに。すると…
…なるほど(笑)
地図を見ると大野地(おおやち)と言う地区があって、その上手(かみて)にある橋だから「おおやちかみはし」か。地下には橋はないことがハッキリした(←当たり前だ)。日本語は難しい(笑)
では、他の橋名板も見てみよう。
竣工は平成17年3月…およそ11年前か…
県道大室水原線?…おや?この「大室」と言う地名は、私が最初に立っていた宮嶋地区より県道55号を更に進んだところにある地区の名前ではないか。いろいろ考えられるが調査は後にして、まずは先へ進もう。
橋を渡って先に進むと、道幅は最も狭かった部分より少し広がって、この位の幅で目的地の学校町交差点目指して進んでいく。雲が太陽を隠し、この時はやや画像が暗い。
集落に入ると、このような三差路に出た。道幅からすると県道は左折のように思えるが、実は川沿いの右折である。そして、集落を抜けるとすぐに道幅が広くなり、下のような看板が。
…まぁ、あの狭さじゃ通れないよね、うん。奥には警戒標識の「幅員減少」も見える。後ろに見える集落は境新田集落である。こうして普通の立派な道幅に戻った県道470号。学校町交差点まではもう目前である。
さて、途中の大野地上橋の橋名板にあった「県道大室水原線」の文字。
どうやらこの道は、本来は大室集落と水原町を結んでいた県道だったようである。それが主要地方道として県道55号が昇格する際に路線変更となり、宮嶋~大室間は県道55号へ昇格し、県道470号は村杉~宮嶋間を追加して現在の線形になったのでは?と推察した。
そしてこの時県道55号に編入された宮嶋~大室間は、拡幅工事されて道幅が広くなった(ただし現在でも県道55号の大室集落内は道幅が狭い)。県道470号へは村杉~宮嶋間が編入されたものの、この区間はもともと道幅が広かった。この為、宮嶋~境新田間が狭いまま取り残されてしまった、と言うことになるのだが…。
それでは、まずは1973年(昭和48年)当時の航空写真を見てみよう。
なんと!この当時から田圃の中を一直線に進む470号は存在していた!
ただ、この時代は県道番号などなく、470号も県道ではなかった時代だった。それにも関わらず、田圃の中をヘロヘロと進んでいたのだ。それに、村杉方面へ向かう470号もあり、やはりこの当時から道幅が広いのが判別できる。それでは、1993年(平成5年)を見てみよう。
やや縮尺が違うのはご容赦頂きたい。
この頃は、県道55号が主要地方道に指定(指定日は1993年5月11日)された直後の画像である。田圃の真ん中はスッキリと直進、集落を過ぎて学校町交差点に向かうあたりになると、ややヘロヘロ気味の道になる。疲れたのだろうか(←そんなことはない)。この辺は今と変わりない道である。ここまでくるとせっかくなので、1948年(昭和23年)3月31日まで遡ってみよう!
ここまで遡ると道形も変わり、判別しづらくなってくるが、集落の形がほとんど変わっていないことがわかる。従って、中央の大きい集落から右に視線をずらしていくと、こじんまりとした集落があるのがわかるだろうか。これが今回の探索の起点になった宮嶋集落と思われる。
よくよく考えるとこの県道470号は、もっと整備されれば阿賀野市の中心部である学校町交差点から一直線に、国道290号の村杉交差点まで行けるのである。この村杉交差点は全国でも有名な温泉地の五頭温泉郷「村杉温泉」の入口の交差点であり、周囲には美しい杉林のなかを進む一本道や、五頭山への登山口もある。この県道470号をもっとしっかりと整備すれば利便性も向上する。ひいては観光地の活性化にもつながると思うのだが…。もし関係者の方々でここを見ている方がいらっしゃれば、ご検討頂ければと思う。
道筋が時として変わることはあっても、集落の形はほとんど変わらない。
これには今回、非常に勉強になった。それと同時に、調査に手を抜いてはいけないという事も。
思いがけず深く掘ることになってしまった県道470号。今度訪れる際は、もう少し違った視線で見ることが出来るかも知れない。近いうちにまた会いに行こうと思う。
新潟県一般県道470号
大室水原線 狭路区間
完結。