新潟県主要地方道17号
新潟村松三川線旧道
高石第一隧道・高石第二隧道
第1部
2019年3月25日 探索・2019年4月19日 公開
まずは高石第二隧道の探索から始めよう。
最初に紹介した、この画像。
この画像は現在の県道17号に面した側で、村松側の入口である。非常にわかりやすい場所にあるが、決して厳重ではないものの、御覧の通り簡単な柵がしてあって、入れないようになっている。ただ、立ち入り禁止などの看板は一切ない。まずはこの村松側の坑門の頂上にある扁額を見てみよう。
光の加減で見えにくいかもしれないが「高石第二隧道 昭和三十三年七月竣功」とある。
竣功年月日はともかく、現存の隧道は高石第二隧道であることがわかった。坑門はコンクリート製でのっぺりしたものだが坑口周りに迫石状の加工が施されていて、多少見た目が良い。だが、この隧道の内部はコンクリートの吹き付けはされているものの、元は素掘りであるようだ。柵から中を覗くと…
おっと、水没!
とは言え、そう大した水没ではなくて、長靴さえあれば平気な深さである。その水は澄んでいて、隧道内部からの漏水ではなく単純に坑門から吹き込んだ雨水が溜まったものだろう。内部はやはり素掘りのコンクリート吹き付けで、その吹き付けの一部にクラックが見える。全体的に結構傷んでいる状況ではあるようだ。
早速内部に入って確認したいところだが、問題が一つ。実はこの探索時には、私がいつもと違う車で来ており、長靴を乗せ換えるのを忘れてしまっていた。それと、道路沿いでもあることだし、ここの柵を乗り越えて隧道内部に入るには少しばかり抵抗がある。そこで、まずはこの隧道の向こう側に見える、高石側坑門に向かうことにした。ただ、その形がきれいな半円形ではなく、床に当たる部分がいびつなシルエットになっていることが若干気になるが…。地形図を見ながら現道の県道17号線を走って新中沢橋を渡り、ここが旧道の分岐点であろう場所にたどり着く。
ここが現道と旧道の分岐点。奥が高石集落側になる。旧道は奥から走ってくる県道に対し、一直線に手前にやってきていた。対して新道は左にカーブし、新中沢橋へと入っていく。ここで更なる疑問。新中沢橋があるなら「中沢橋」はどこにあるんだと言う気もするが、それはすぐにわかるだろうと言う気も、何となくだがしていた。根拠はないが。
現道との分岐点を過ぎると、旧道はすぐに橋を渡る。それは車一台が通れれば良いような簡素な橋で、ここが県道だったのか?と言う気もするが、実は立派な県道だった。但し、当時の名称は高石村松線で、現在のような主要地方道ではなかったが。それにしても、この橋はなんと言うのだろう?。
ひとつ前の画像でも写っているが、橋の脇にポツンと立っている、この明後日の方向を向いた標識が気になっていた。
その明後日の方向が川なので、撮影する体勢に気を使ったが、近づいて確認してみると…
最大重量制限が10トン!。ちょっとした大型トラックなら、とっくに越えているであろう重量である。
だが、この橋が現役だった頃は県道とは言えど大型車もそう通らない道だっただろうから、これで事足りていたのだろう。
高石集落はこの橋がある地点の少し山側にあり、県道の行き止まりの山間の集落だった。
橋を渡ってみる。う~ん、狭い!。普通車でもギリギリなんじゃないかと言うくらいの道幅である(この時は軽自動車で来ていた)。重量制限もそうだが、幅員制限の標識も必要なんじゃないかと思うくらいの狭さで、左右に設置されているガードレールが更に狭さを助長しているようにも見える。
橋の右側はこの通り。美しい渓谷が広がる。護岸工事がされていないので、川面に直接降りれそうなほど水面が近い。最近の川ではあまり見られない光景であり、水遊びでも出来そうなくらいである。ただ、今は雪解けの季節であり、流れは相当速いので水遊びは出来ないだろう。
先へ進むと、このようにガードレールに封鎖された部分が現れた。ただ封鎖されているだけで、立ち入り禁止などの表示もなく、徒歩ならそのまま進める状況である。多くのWEBで草が生い茂っていた地点は、おそらくここだろう。私が訪れた3月の時期は冬枯れで草がほとんどなくなっており、非常にラッキーだったと言える。
草が少なくなった廃道を進むと
高石第二隧道の高石側の坑門まで
もう少し。
まずはこの先へ。