新潟県一般県道178号
山ノ相川下条停車場線
(後編)
2018年9月24日 探索・2018年9月27日 公開
2018年10月25日 全面加筆・再公開
まずは地図を見て確認しよう。7月に訪れたこの道。前編では二子集落側に行ったが、あまりのヤブに残念ながら辿ることが出来なかった。で、今度は山ノ相川側からチャレンジなのだが、この道に未開通区間があることは事前にわかっていて、その未開通区間の終点をどうしても一目見たくて、ここまでやって来たのである。
まずは県道58号から分岐する、県道178号の分岐点からご覧頂こう!
今、私がいるのは県道58号を明神地区から山を越えて、山ノ相川に下りてきた地点である。この交差点から左に行くと、県道178号なのだが、普通はこういうところには卒塔婆と呼ばれる案内標識があるもの。でも、この付近には見当たらなかった。予備知識もなく初めてこの地点にくると、県道178号がただの林道に見えてしまうこと請け合いだ。では、県道178号方向へ行ってみよう。
右側が谷のようになっているが、ここを流れるのは相川川(あいかわがわ)である。
ここはまだ、この先に未開通区間が残っている県道とは思えないほど舗装もしっかりしているが、県道標識が一本もないので、こうして通っていても一見すると県道には見えない。また、ここから見える路面の舗装がやけに新しいが、この舗装は中越地震の際に行われた復旧工事の結果だと思う。そんなことを思いつつ、先に見えるカーブを左に曲がると…
このような景色が現れる。目的地の山奥の合流点を目指して、一直線に走る県道。なかなかのびやかで気持ちがいい風景だ。…おや左の黄色い標識は何だろう?。ここから見る限りでは、なかなか楽しい標識のように思える。
少し急ぎ足で近づくと、文面も姿もなかなか素敵な看板だ(笑)
だが、看板にとっては残念なことかもしれないが、こちらはそんなことは百も承知。そこを見に行こうとしている。
愛車(チャリンコ)のペダルを漕ぐ足に、ひときわ力を込める。ギアを大きくして、速度は落ちるが楽に登れるようにした。気合いは十分なのだが、進む速度は実は非常にの~んびりとしたものである。進まね~!(笑)
前の画像でも道の前方に橋があるのがわかるが、その橋に近づいて撮影してみた。
橋の長さはそんなに長くないが、相川川を渡る橋は「しんあいかわばし」と言うらしい。この道の状態を見ていると、この橋が竣功してからいったい何人の人や車がこの橋を渡ったんだろう?。ということを思うと、少し切なくなった。
この橋の為にも、反対側の親柱を確認してみよう。
う~む…樹脂製の銘板が劣化の為か割れてしまっていて、肝心なところが全く読めない。また、この銘板には何か模様が入っていたようで、なんだかそんな風に見える。…肝心のこの橋の竣功年月は、帰宅して改めて調べてみると1976年(昭和51年)であることがわかった。1976年(昭和51年)11月竣功…私より5歳年下だな(←歳がバレる)。橋相手に先輩ヅラをふかしても仕方ないので、先に進むことにした。
橋から先に進むと、道はこのように山に向かって挑むかのようにカーブして先に進んでいる。路肩の白線の消えかかり具合に注目したいところだが、その前にここから左側を見ると…
おお!。これは砂防指定地の看板ではないか。何か情報が得られるかも。近づいて確認してみよう。
北魚沼郡川口町大字山ノ相川地内。
この看板の、現在位置の表示に感激した。人がいなくなっても、こうして地名は残っている。なんだか「この地に住んでいた方々のことを忘れないで」と、この看板が教えてくれているようで、つい嬉しくなってしまった。
路側帯の消えかかった白線が、この先の道の状態を示しているようで痛々しい。
しかし、県道58号の小千谷市側のように、草が路面に張り出しているのが若干少ないようにも見える。ここは、おそらく中越地震の際に修復された区間だろう。あの先に見えるカーブを左に曲がると、もしかして…
もうすぐ行き止まりかな?と思ったが、さにあらず。
十日町市側で待っている相方に向かって一直線に上がっていく。よく見ると、この先の路面が微妙に波打っている。これも中越地震からの修復の際になんとも出来なかった部分だろう。中越地震の際は、この県道も至るところで痛めつけられたようだ。ご覧の通り、県道とは言えど通行量はほとんどないが、その復旧を後回しにせず、こうしてきちんと復旧してくれた新潟県長岡地域振興局地域整備部の方々に感謝したい。
微妙に波打った直線の区間を過ぎて上り詰めると、左カーブに差し掛かる。路肩の白線も擦れて消えてしまい、辺りは緑がますます深くなってくるが、道は更に上り坂で峠を目指しているかのようだ。道が続いていることを願って道なりに回り込んでみると…
道幅は同じものの、それまでの舗装が途切れ、固く締まった砂利道になっている。ここから先は未舗装の区間となって、更に左カーブで回り込んでいる。勾配を緩やかにするためのようだが…。
ど~~~ん!(笑)
道は、先に見える広場のようなところで終わっていた。地図上ではここから右カーブで山側に突っ込んで行く線形になっている。う~む、こんなところで止まっていたか…。何か道が続いているような痕跡はないものか。キョロキョロして右側の法面を見てみると…おや?
これは道じゃないか?。いやいや、何となくだが道があるように見える。…もう少し近づいて確認してみよう。
おおっ!。道があるっ!。これがもしかして178号の原点になった山道?。
そういえば、確か…
これは国土交通省が中越地震の後で作成した資料の中に記載されていた地図である。だが、多少間違いもあって、川口町の表記の上に山ノ相川下条停車場線(県道・178)とあるのは間違いで、この道は県道209号山ノ相川内ヶ巻停車場線である。
それはそれとして、中越地震の際に発生した土砂崩れの影響でどこが被災したか一目瞭然だが、「二子」の集落名の先を見て頂きたい。「山道」とあるではないか!これはどう考えても県道178号の延長!。そういえば…
これは明治44年の地形図である。左に「子タ二」とあるのが今の「二子」集落で、右に「山ノ相川」とある。よく見ると、この間が上側片側破線の道でつながっている!。…ということは里道、しかも聯路(れんろ)!。
…おい!!
二子側から探索やりなおし!
…今はプーさんも多く、下草も生い茂っているため、雪が消えた春をめがけて再探索したい。探索したらまた報告することにして、今回は山ノ相川側から「今の」178号を追うことは出来た。今回はひとまずよしとしよう。(←なかなか苦しい言い訳だ)
新潟県一般県道178号
山ノ相川下条停車場線
一応…完結?
…いやいや、この道の話はまだまだ終わらない。