新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道 再調査編
第10部 完結編「赤白橡の峠道」
赤白橡…あかしろつるばみ。薄めのくすんだ赤茶色で、夕焼け時の雲のような輝きのことを言う。
2025年4月5日 探索 2025年7月1日 公開
赤白橡の峠道

前回で「ナナマガリ」の峠部分にあたる切り通しに辿り着いた。今度は、このナナマガリの稲川側に降りれる道があるかどうかの問題だが、現段階ではある程度、見当がついていたりする。そのためにも、この切り通しを通って稲川側に向かわないといけない。
「ナナマガリ」の交通が途絶えて、どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。峠部分の切り通しは、今は灌木と笹に覆われていて往時を知る由もないが、その昔はきっと多くの人々がここを超えて海側に行っていたはずなのだ。

少し進むと足元の灌木と笹が落ち着いてきて、こんな感じになる、ここなどは道の面影を色濃く残していて、路面の幅もそこそこあるので「道」という感じがする。先に見える景色は稲川側の風景。まだこの先の道の状況を確かめていないが、通れるといいんだけどなぁ…。と思いつつ、ペットボトルのお茶を取り出して、少々休憩。道の先を確かめなきゃいけないんだけど、今はそれよりも「ナナマガリ」を辿れたことの嬉しさの方が大きい。

中山側を振り返ってみる。この道に、ここに人が訪れたのはどのくらいぶりなんだろうか?。なんだか「よく来たなぁ」と言ってくれているような気がする。ここに来るまでもそこそこの道幅はあったが、悪天候の時や冬場の雪の季節は、それこそ命がけだっただろう。だから稲川隧道が穿たれ、冬場でも安心して通れる道になったが、その稲川隧道も滴る水の量が多かったということなので、隧道を穿つのはいいが、その途中で水脈を切ってしまったのかもしれない。そう考えると、今の稲川トンネルは天国のような道なんだなぁ。技術の進歩をひしひしと感じる。
さて、問題は稲川側なんだが…。正直、この場所は初回の探索と、その次の探索(ここまでが「稲川隧道」としてレポートになっている)、そしてこの再調査編と、3回に亘って訪れているので旧版地形図のこの付近は覚えていた。確か中山側からこの切り通しを過ぎると、道は左カーブのあと直線で山を下り、その後右カーブで、さっき探索を行った旧道に繋がっていたと思われる。…そうだ、確かこの道は片側破線の「聯路」になっていたはずだ…。
ということで、稲川側を見てみると…

んー…道がないな。いや正確には手前の部分などはありそうに見えるが、その先で崩れてしまっている。これは…稲川トンネルを造るときに崩されてしまったか、中越地震の際に崩れてしまったか、どちらかだろう。災害は地形を変えるから、仕方ない。ここを通るのは危険と判断して、引き返すことにした。「ナナマガリ」の聯路が見つかっただけでも良しとしよう。

これは帰り道。切り通しを後にする際に撮影したものだ。時間は15時を回っていただろうか。陽が傾き、あたりに夕暮れが訪れ、あと数時間もすれば、また夜の帳が降りてくる。暗くなり始める前に山を下りることにしよう。きっと、この道が現役だったころに通っていた人たちも、そう思っていたに違いない。どんな人が通っていたのかなぁ、そう思うだけでも楽しくなる。
そうだ、アレを撮り忘れていた…。高いところは得意じゃないので、撮るのに二の足を踏んでいたが、やっぱり必要だよなぁ…撮るか。そう思って撮ったのが、この画像だ。

今、こうして見るだけでもあまりいい気持ちはしないが(背中がぞわぞわする(笑))、これは中山側から上がってきて切り通しに入る左カーブの直前で下を見た景色だ。下に見える道路が現道で、こうして見ると稲川隧道(トンネル)は峠の真下に穿たれているのがわかっていただけると思う。これだけ上に上がってくるんだもんねぇ…聯路だとは言え、こりゃ峠越えるのも一日がかりだっただろうな。
さぁ戻ろう。時間が動き出すときには一気に動き出し、そしてその動きは誰も止められない。今回はこの時間の力強さと怖さを思い知らされた探索だった。
最初の稲川隧道の探索から7年。
フォロワーの方(Threads の guanchuankanghong さん、情報ありがとうございました!)からいただいた情報を元に、また時間が動き出した今回の探索。最初の時点から「この写真はどこで撮影したんだ?」から始まり、「稲川隧道というのはどこにあるんだ?」から、現道のトンネルの他に旧隧道があるという話が出てきて、出雲崎町役場に伺っても「わからん!」と言うことになり、終いには「ナナマガリ」とやらが大ボスで登場してくるという…このレポート、ホントに収拾できるのか?と思っていたが、時間はかかったものの、丸く収まってくれて本当によかった(笑)。
「道」というものに関して、様々なことを教えてくれた稲川隧道。そこには国道も都道府県道も市町村道も、達路も聯路も里道も何も無かった。そこにあったのは生まれてからずっと、ただ地元の人々に寄り添い続けた、たった一本の尊い道の姿だった。
またいつか近くを通ったら、「元気かな?」と様子を見に立ち寄る。そんな気がする。トンネルも、ナナマガリも、それに通じる旧道も、昔はこんな道だったんだよ、ということを(コッソリと)秘めながら、これからも残っていってほしいなと、切に思う。
新潟県出雲崎町道
尼瀬稲川線 稲川隧道
(再調査編)
完結。