山形県一般県道349号
鶴岡村上線旧道 旧尾浦橋
第1部
「変わらない景色、変わる道」
2023年10月14日 探索 2024年5月29日 公開
変わらない景色、変わる道
前回の最後で私が橋と正対した風景。せっかくなのでもう少し眺めてみよう。道幅はおよそ1.5車線といったところか。現代の車では対面通行が出来ない道幅だが、そもそも車の幅が小さかった昔のクルマなら、十分にすれ違い出来ただろう。その橋の直前の右側には、綺麗に等間隔に植樹された木々が。これが桜なら、ここを春に訪れると素晴らしい風景だろうな。この橋と前後の道が現役だった頃の、往時の風景が目の前に蘇る。
尾浦橋と正対した後に、まず確認しなきゃいけないのはここだろう。遠くからでもはっきりとわかる、この橋の銘板。白地にはっきりと黒字で書かれた銘板の文字は「尾浦橋」。その銘板は旧き道の旧き橋に貫禄十分。今でもシャープなエッジを誇る親柱から、この橋がこの地域にとっていかに大切な橋であったかを教えてくれる。大事にされてたんだろうな。…と、もしかしたら、今の銘板は二代目で、初代の銘板は今の銘板がはめ込まれている面全体じゃなかったんだろうかと言う気がしてきた。今の銘板が埋め込まれている面が、どうも凸凹しているのよね…。
反対側の銘板。そこには、この橋の竣功年月が刻みこまれていた。昭和三年十二月と言えば戦前、西暦にすると1928年。と言うことは、竣功から実に96年!(2024年現在)。100年弱の悠久の時間を越えて、この橋はここに存在し続けている。…と、ここは銘板を付け替えたような跡はないなぁ。とすると、やはり竣功当時からの銘板だろうか。それにしても、やはり立派な親柱。見ていてホレボレしてしまい、しばらくこの位置(しゃがみこんでいたのだが)から動けなかった。しかし、動かなくては探索にならない(笑)。橋へいってみよう。
橋の中ほどまで行ってふと川の方を見ると、そこには絶景が待っていた。季節は秋、紅葉にはまだ少し早い時季で木の葉は緑のままだが、水面に映り込む木々の景色と、秋の青い空が実に美しい。この橋をどれほど多くの人たちが渡り、この景色を眺めたのか。真ん中にある現道の赤い尾浦橋を除くと、きっと100年前とさほど変わっていないだろう。変わらない、今も見ることが出来る景色。これからも残っていてほしいと願う。
奥に映り込む赤い橋は現道の尾浦橋。現道と旧道の尾浦橋は、このようにほぼ平行にかかっている。これと似たような景色は現道の尾浦橋からもきっと眺められるだろうが、この景色はここからしか見れない。反対側の景色も見ておこう。
こちらはこちらで絶景さ!
やっぱりなぁ、思った通りだ。この県道は、この赤川(大鳥川)沿いに走っているので、どこかにこういった景色はあるんじゃないかと思っていたが(あくまでも旧道・廃道・隧道主体に訪れているヤツ)、やっぱりあったか!とつい嬉しくなってしまう。
そういえば、この橋に辿り着く直前まで探索をしていた大鳥隧道も笹根隧道の時も、さほど休憩していなかった。この探索が終わると、実に名残惜しいが一路新潟へ戻らなくてはいけない。この辺で休憩することにしよう。心情的にはここでビールでも開けたいところだが…コーラにしておこう(笑)。
素晴らしい景色を見ながらコーラを飲んで(これがまた爽快だった!)一息入れて車に戻ると、反対側にやってきた。ここは先ほどの位置から旧尾浦橋を渡り切った先にあるシェッドだ。こうして橋がある方向を眺めると、道形が実に自然にシェッドに入っていることがよくわかる。やはりこの道は現道の尾浦橋が竣功するまで県道だったんだな。だが大針洞門と言い、荒沢隧道や笹根隧道、大鳥隧道、そしてこの尾浦橋など、旧規格で造られた道路構造物が全て改修されているか、造り直されている。それはなぜなのか。この県道の、さほど長くない距離の間に、旧道や廃道が多すぎる理由が隠されている気がする。あ、写り込んでいる車は私の車。日頃の足に、探索の際のベース車にと大活躍してくれている相棒だ。これまでもちょいちょい登場してきたが、後ろ姿は初めてか(笑)。
さて、存分に旧道と景色を楽しむことにしよう。
シェッドも登場していることだしね♪