羽越本線旧線 間の内隧道

2018年12月22日 探索・2019年2月26日 公開

2018年の年末も押し迫った12月22日、私は村上市北部の町、勝木にいた。
今回は先日の岬峠隧道に続く、鉄道用隧道の2本目のお話である。その名を間の内隧道と言う。この日、私は例によって国道345号や国道7号の旧道の探索を行っていたわけだが、その途中で発見した隧道である。まずは地図を見てみよう。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈と矢印を追記して掲載

これはお馴染み国土地理院の電子地図に注釈と矢印を加えたものだが、どうだろう?。非常に賑やかでしょう?(笑)
大久保山の辺りはまだいいとしても、間の内川の辺りは山と海が非常に接近しているにも関わらず、よくもまぁこの狭いところにこれだけ通したな、と言うのが率直な感想だ。で、その狭いところを横目に見つつ、右側の山中をヒョロヒョロと通っている非常に頼りなげな道が、我らが勝木峠である(笑)。この道もまた見事に等高線沿いをトレースし、時には大胆に横断し、時には急カーブで切り抜けるという、まさしく明治新道ならではの道なのだが、今回の本題はそれではない。

今回の主役は、左上に見えている羽越本線旧線の「間の内隧道」。
この隧道は国道7号の旧道、間の内隧道の勝木側坑門に立って左側(つまり海側)を見ると、否が応でも視界に入ってくる、実に存在感溢れる隧道である。国道の旧道と羽越本線旧線の路盤の間は、今は腰の高さ程まである草に覆われた草原になっていて、私が訪問した時は冬なので草は枯れていたが、これが夏だったら夏草に覆われてとんでもないことになっていたことだろう。従って、ここに行くなら初春が晩秋が良いかも。
さぁそれでは、その姿をご覧頂こう!。羽越本線旧線、間の内隧道である。

おぉ~!いいねぇ!

う~む、この風格。素晴らしい。道路用隧道のように扁額はなく、あっさりとした坑門だが、坑門断面が道路用と随分違うのに注目して頂きたい。とはいえ、実際に見てみないとわかりにくいだろうから、道路用のそれと比較してみよう。道路用隧道の比較対象は…やはりここでしょう。間瀬隧道である。

新潟県一般県道55号 新潟五泉間瀬線旧道 間瀬隧道

道路用隧道の場合は高さが低く、アーチ部分の迫石を受ける、地面に一番近い下部の直線部分(迫受石と言うが)が短い。これに対して鉄道用隧道の場合は通行する車両自体に高さがあるため、迫受石の部分が長い。その他はほとんど同じで、左右擁壁やパラペット(正面にある坑口周りの壁、胸壁)も殆ど同じ造りに見える。さて、それでは間の内隧道の中を覗いてみることにしよう。いざ入洞!。

申し訳ないが、若干ピンボケである。しかし、雰囲気は掴んでいただけるかと思う。隧道は内部もレンガで組んであり、その仕上げに驚く。今でもしっかりとその機能を果たしているが、それはここが海沿いで風通しがよく、また地下水の影響がほとんどないからなのかも知れない。入洞してから反対側に出るまで、路盤に水が堆積しているところは一か所もなかった。路盤の砂利敷き(バラストと言う。以下、バラスト)は失われているが、大き目の砂利石が残っているところもあり、バラストが砕けた名残かも知れない。隧道の全高は非常に高く、ここを通っていた蒸気機関車、D51の全高は3980mm、C57は3945mmなので、そこから推測すると4.5m近くはあるだろう。

Wikipediaより

ところでこれは余談だが、ここを走ったD51の中で、現在も元気に線路上を走っている蒸気機関車が1両いる。「D51 498」がそれで、国鉄時代の廃車直前の最終配置機関区は、新潟県村上市坂町の羽越本線坂町駅に隣接して設置されていた坂町機関区である。現在はJR東日本高崎車両センター(旧高崎運転所)に所属している(←この辺のことを話し始めると、止まらないので要注意(笑))。
話がそれてしまったが、それでは中を探索してみよう。

この画像もややピンボケで申し訳ないが、雰囲気はつかめるだろう。隧道の天井部分が黒くなっているが、これは蒸気機関車の煤で黒くなったものだ。当時はこの隧道を通って、SLやまぐち号をけん引しているC57 1やばんえつ物語号を引くC57 180、現在は高崎にいるD51 498が、煙を吐きながらフルスピードで飛び出してくるところを想像すると・・・かっこいいではないか(笑)

更に奥へ進んでみると、何やらいろんなものが置いてある。どうやらこの隧道、漁師さんたちの漁具置き場になっているようで、このまま進むことをためらったが、前方に明るい坑口が見えているし、半分以上来ているので通ってしまうことにした。隧道の内部は御覧の通り乾燥しており、非常に美しい状態を保っている。

隧道の左右同じ場所にある、この窪み。これは退避場所である。隧道内で保線作業中に列車が接近した時に、ここに退避して列車をやり過ごしていた。

間の内隧道、間の内側坑口。御覧の通り、やはり漁具置き場になっているが、往年の雰囲気はそのまま。ここを列車走っている頃は、風や波の影響もあっただろうが、美しい風景が広がる車窓だったことが伺える。坑門は一部はコンクリートで補強しているようにも見えるが、隧道内部はレンガで組み上げてある、往年の古き隧道そのものである。

この区間の羽越本線旧線の隧道は、大崎山隧道、岬峠隧道、間の内隧道とあるが、いずれも山と海との間隙に展開する、その造りも美しい印象的な隧道だった。今もその姿を現代に残す、日本海側の鉄道の重要路線、羽越本線の旧線隧道は…

羽越本線旧線 間の内隧道

完結。