羽越本線旧線 岬峠隧道
一般国道7号 岬隧道

2018年12月22日 探索 2019年1月11日 公開

今回は初となる、廃線隧道の紹介である。
2018年12月22日。クリスマスも近い休日のこと。
私は国道345号の再調査と探索を終え、村上市勝木の町を超えて少し北上した「府屋(ふや)」というところにある、国道7号の旧道にいた。

この地域には国道7号と羽越本線旧線が関係する隧道が多くあるが、私たち探索者にとってはある意味で非常に濃く、一つの山に三つの隧道が至近距離で掘られているという箇所も存在する。そこでは、そのうち二つが旧道・旧線と言う非常に嬉しい状況なのだ(笑)。その中で私は国道7号旧道の探索を続けていたわけだが、その探索中に旧道の右側の下に何か違和感を感じて、足を止めた。

「この下に何かある」探索者の感である。
私は下の画像の電柱の場所で何かを感じて足を止め、少し手前にあった右側に降りる道の分岐点まで戻った。そこから道の奥をのぞき込むと、道は右カーブして奥に民家が一軒あり、分岐点の道はどうやらそこに行くための道のようだ。だが、その道の国道7号の旧道に沿った左側は…

左側の一段高くなっている場所が、国道7号の旧道。
一見して枯れ木と枯草の草原のようだが、間違いない。ここから見ても、奥にレンガ積みの何かがある。もう少し近づいてみよう。

!!!

間違いない。皆さんにも見えると思う。奥に見える特徴的な組み方のレンガの壁は、隧道のパラペット(胸壁)!。あれは…埋もれた隧道!!羽越本線旧線の隧道だ!。
ここで狂喜乱舞…はさすがにしてないが、笹川流れの濃い隧道群を探索して、やや疲れ気味だった身体に俄然パワーが増したことは言うまでもない(笑)…廃隧道からパワーを貰うなんて、なんてヤツだ!などと思いながら隧道に近づこうとして、左に何か気配を感じて見てみると…

これは…おそらくここにレールがあった頃に、線路際にあった地蔵様だろうか。小さなお社には扁額があり、「清水地蔵」とある。ここに清らかな湧水があったのかも知れない。そういえば、この付近の地面は乾燥しているが、このお地蔵様の付近だけ御覧のように水があり、湿気を帯びていた。
ここは羽越本線の旧線跡。その昔に線路を保線されていた方々も、このお地蔵様に手を合わせて作業中の無事故を祈ったことだろう。私もこれから通る身、無事故を願って一礼した。

間違いない!やはり隧道だ!
しかし、手前の覆いかぶさる土は何かの廃土だろうか。上に道路がある状況からすれば、上の土が崩れてきたとは思えない。しかし、幸いなことに完全に閉塞はしていない。これは、空いている隙間から入って通れるか?!ついそういう期待を持ってしまったが、現在の時刻は16時。隧道と遊んでいると日没になってしまう。遊びたいのは山々だが、今日はこの隧道の通行はやめておこうと判断した。しかし、近くで見たいことには変わらない。もっと近づいてみよう。

手前に写っている不法投棄のゴミに閉口しながら近づいてみる。迫石とパラペットの造りが非常に美しい。奥を覗き込むと、見事に貫通しているっ!。
安全を考えて今日は撤収としたが、貫通している以上は反対側の坑口を確かめることは出来そうだ。今後、再訪する予定の一つに入ったが、事前調査は重要である。今後の為にも、反対側坑口を確かめることにした。

国道7号の旧道に戻り、そこから反対側坑口に向かおうとすると、右側にやはりお地蔵様を見つけた。小さい祠ながらも頑丈に作ってあって、このお地蔵様を守ろうとする製作者の強固な意志が感じられる。祠の傷みは少なくて、内部もゴミなどはなく、誰かが管理しているのであろう。これなら多少の大雪でも、お地蔵様が寒い想いをすることは、まずあるまい。
お地蔵様に一礼して左の隧道を通り、旧線の反対側坑口付近へ抜けようとするのだが、やはりそこは探索者の習性。思わず扁額を確認してしまうのは言うまでもない(笑)

岬隧道。…実はこの辺を歩いていると、なぜか頭の中で山本コウタロー氏の「岬めぐり」と言う歌が流れていたのだが、そのためだったんだな!!(←それは違うと思う)
ここが「岬隧道」なら、下の旧線の隧道もおそらく同じような名前だろう。旧線脇の清水地蔵や、さっきあった無名のお地蔵様がこの辺にあるということは、ここはその昔は峠だったと考える方が正解かも知れない。そうなると、どこかに旧道の旧道があるかも知れないなぁ…とあたりを見回して観察しながら、この隧道に入る。

さほど長い隧道ではなく、既に反対側である。坑口や道内の雰囲気からしても、1955年(昭和30年)から1975年(昭和50年)あたりの竣功かなぁと、何となく思った。
おや?坑口の右側の黒いものは何だろう?近づいて見てみると…

ほう、こんなのは初めて見た。一級国道7号線とある。それも「七号線」ではなく「7号線」となっているためか、「7」の文字が少し丸っこい字体で、可愛い感じがする(笑)
反対側にも何かあるかなぁと思って見てみると…

やや読みづらいが、「延長三〇米 幅員六米」とある。よくある銘板の代わりだろうか。それにしてもなかなか面白い。笹川流れの隧道群にはこのタイプの銘板(?)はなかったから、この付近だけなのかも知れない。帰宅後に「道路概要1964」を少し調べると、この岬隧道は1957年(昭和32年)の竣功だった。ただ、路線名が「新潟県道村上温海線」となっている。国道7号ではないのが非常に気になるところで、また謎を見つけてしまった気がするのだが…。ま、今はひとまずそれはさておき、今度は旧線の隧道の坑口を探そう。

…さーて、どこから降りようか。今いる国道7号の旧道から旧線の隧道に降りるには、一見して結構な高低差がある。岬隧道を抜けてあたりを見回すと、道の右側に水準点。ここであたりを見回すと…

あったあった。あれが旧線の隧道の坑口だな。画像中央部より少し左に見える構造物が坑口である。ここで気になったのは坑口の上にある、いかにも「切通しです!」と言わんばかりの山の凹み。もしかすると、この切通が旧道の旧道の峠部分だったのかも知れない。ここからだと、見える斜面が何とかなれば通れそうだよね?。

いかんいかん、まずは隧道の探索を優先に進めよう。こんな風に、現地を観察してるとあちこちに興味が湧いて足を踏み入れるものだから、一つの探索に時間がかかって仕方ないのである。それにしても、隧道に近づくにはやはり結構な高低差なので、何かないかと見回すと…

いいぞ!釣り人!

ちゃんと旧線の路盤に降りるロープがある。この斜面を降りると旧線の路盤を挟んですぐに海岸になっていて、ここは私のような素人目から見ても、釣り糸を垂れるといいだろうなぁと言う、美しい海岸になっている。

手前が羽越本線旧線の路盤。等間隔で並んで立っているのは廃レールを使用した鉄道構造物である。風よけか、波よけか…そのようなものがあったのかも知れない。このような風光明媚なところを羽越本線は通っていたんだなぁと思うと、汽車の走る姿が目に浮かぶ。ちなみにここは左右に隧道があって、帰宅後の調査では左側の隧道が「大崎山隧道」、今回坑口を確認しようとしている右側の隧道が「岬峠隧道」という事がわかった。ということで、ここから右を見ると…

おおっ!

これが羽越本線旧線、岬峠隧道である。路盤の左右に立っている電柱は、ここが鉄道の路盤であったことの証。この区間は、鉄道旧線を歩く人たちの中では既にバイブルとなっている「鉄道廃線跡を歩く8」(JTB発行 宮脇俊三編著)の巻末にある「全国線路変更区間一覧」でも変更時期が空欄となっているが、この前後の区間は複線化準備の為に1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて路線変更となっているから、この区間もほぼ同時期と思われる。なお、上記の全国路線変更区間一覧では、この区間で隧道が放棄されたのは2カ所となっているが、実際は3カ所(大崎山隧道・岬峠隧道・間の内隧道)であることを注記しておきたい。それにしても…ううっ、入ってみたいが…せめて、もう少し近づいてみよう。

よく見ると迫石が二重にまかれ、パラペット(隧道上の胸壁)のみのシンプルな造りだが、頑丈さは見て取れる。それに、坑口が縦に長い馬蹄形としていることにお気づきだろうか。
それに、ここから見てもわかるが、隧道の天井部分や左の縁が黒くなっているのは、蒸気機関車時代の煤が付着したものと思われる。

道路の隧道を探索中に、思いがけず羽越本線の隧道を見つけてしまったが、実はこの前にもう一本、羽越本線の隧道を探索していた。その探索した隧道は、本来の探索の計画になく(この岬峠隧道もなかったのだが)その寄り道の為に探索出来なかったのである。
ここはおそらく夏には草が生い茂るだろうから、春か秋のどちらかに探索したい。

日本海の美しい海岸線を貫いた羽越本線旧線と、新潟県道村上温海線の面影を今も色濃く残す隧道。
その隧道の名は…

羽越本線旧線 岬峠隧道
一般国道7号旧道 岬隧道

完結。