一般国道7号旧道
大毎峠

2018年7月26日 探索・2018年7月27日 公開
2018年10月18日 加筆修正
2020年7月10日 全体修正

蒸し暑い夏の一日。新潟県と山形県境の旧出羽街道の道筋に存在した長坂峠、蒲萄峠、大毎(おおごと)峠と三つの峠が連続する大変な難所。特に冬の雪の季節には、想像できないほどだったと思われるこの道筋に私はいた。今日は道筋が今一つはっきりしない長坂峠を除いた蒲萄峠と大毎峠を探索していて、今は蒲萄峠を探索し終えて、道筋がそのまま繋がっている大毎峠に向かって進んでいる最中だ。県境に近い山中をひた走る、この連続する難所を楽しんでいた。

国土地理院の電子地形図(タイル)に注釈と矢印を追記して掲載

ここで地図を見てみよう。現道の右側の山中を走る細い道が見えるだろうか。これが現道の旧道で、蒲萄峠と合流した大毎峠はマルクラ沢をしれっと渡り、等高線に沿って一路「真佳木橋(まがきばし)」に向かっていき、大毎の村に降りて現道と合流する。

いいねぇ!

この画像は蒲萄峠と合流してすぐに未舗装路になり、マルクラ沢に向けて一直線に登っていく、その途中の地点での1ショット。この堂々とした道幅はまさしく一級国道!しかも坂の傾斜が緩やかな明治新道!さらに未舗装!思わず…いいねぇと呟いてしまった(笑)

旧道臭たっぷりの道をしばらく進むと、こんなものが。これは蒲萄峠の時にもお世話になった国土地理院の「水準点」。地図上では、沢を渡ったすぐのところに「179.7」とある。やはり、ここは旧国道!。明治新道が崩れもせず、よく残っていたものだ。なんだか嬉しくなる。

ボンネットバスが向こうから顔を出してきそうな、緩やかなカーブ。右側の擁壁などは草に覆われていて、歴史を感じさせる。この草を剥いでみると、石垣があるかもしれない…なんてことを思ったが、草を剥がすのは止めておいた。でも、なんかありそうだよねぇ…。

緩やかな等高線の通りの、この左カーブ。これを見て、ここがまさか国道だったとは誰も思わないだろう。何も知らなければ、よくある林道としか見えない。しかし、実際にはこういった未舗装で狭くて林道のような道の国道は、旧制国道の時代でも多かったようである。

大正時代にはバスも通ったであろう、明るいあぜ道のような道。左は田圃である。こんなところを通ったバスは…ボンネットバスよりも更に古い、クラシックカーさながらのバスだろうか。
きっと、バタバタと賑やかな音を響かせながら車体を左右に揺らし、歩く人や馬を避けながらゆっくりと上がってきたに違いない。なお、この画像のみ後日、車の中から撮影したものを使用した(←撮り忘れていたので、慌てて撮りに行ったのはヒミツだ(^^;)

左右の杉林が美しい管理された道。木を見ると下枝が払われているので、しっかり管理されているのだろう。非常に赴きのある良い道である。ここを、はいからさんが自転車に乗って走っていたら、つい追いかけてしまいそうである。(←おい(^^;)

この微妙に続く坂道。ここを上る荷車は、何を積んでいたのか?。引っ張ったのは牛か?馬か?。撮影しながら、そんなことを考えていると、実に楽しい。だが、私がそんなことを考えているなど察することが出来ない(当たり前だ)ウシアブは、容赦なく私に突撃してきていた。そんな虫と戯れる楽しい道(?)を走っていくと、やがて出て来た「真佳木橋」。
橋の付近の道形がなんか変なので、降りてよく見てみると…

…なんだこりゃ(笑)
あとで開通した朝日村村道(現村上市道)の方が、態度がデカいじゃないか(笑)
それに、よ~く見ると市道と旧道を繋ぐ短い渡り線もあったりする。国道側の橋を欄干を調べてみると…よかった、銘板は残っていた。ふむふむ…

これは、読み方は…

ふむ。「まがきばし」というのね。反対側は…

あっ!あっ!あっ!…あったーーーーーーーーー!!
「一級国道七号線」!!!。池の平橋にも明神橋にもなかった、この言葉を記した銘板!。
こんな妙な道形になっても生きていた、旧国道の確かな証だ。国道49号の時と同じように狂喜乱舞してしまったが、一度経験しているだけに立ち直りが早かったことは幸いした(笑)
山深いこの地域、往時は(今も)大沢集落へ向かう道も、真佳木橋も、冬には雪で埋もれていたことだろう。その峠をもうすぐ、日本海東北自動車道の蒲萄トンネルが貫くことになる。

松尾芭蕉も歩いた道。大正時代にはバスも走った道。
牛や馬が引く荷車や商人たちが、足しげく通った峠道。


人が道を通し、道が人を通す。
そこには決して表に出ることのない、数多くの隠れた物語がある


一般国道7号旧道
大毎峠

完結。