一般国道49号 旧道
五十島隧道

2018年4月30日 探索・2018年5月2日 公開
2018年10月13日 画像追加・加筆訂正
2020年5月17日 大規模加筆

記念すべき第1回目は、私の廃道探索の起点となった道。
一般国道49号五十島トンネル旧道、五十島隧道である。
この旧道の存在は、以前から気づいていた。国道49号を津川方面から来ると、現道の五十島トンネルの左から奥へと続く、入口にバリケードがある「いかにも」と言う雰囲気の道がある。これはきっと旧道だなと以前から思っていたが、その時の私にはまだ旧道に足を踏み入れる勇気がなかった。その当時は「旧道 = 危険」と言う式がなぜが出来上がってしまっていて、一歩でも足を踏み入れると危険と思い込んでしまっていたからである(確かに、場所によっては非常に危険だったりするのだが)。

だが、ネット上で様々な先輩諸氏のサイトを拝見するうちに思い込みが解けて行き、最初に行くならどこがいいか?と考えるまでになった。この結果、最初の場所に選んだのがここなのである。よって、ここが私の初めての「廃道」の訪問地となった。
では、なぜ私がこの場所を選んだか?。それは単純に、行きやすかったからである。
と言うことで、2018年4月30日の早朝、クルマに自転車を積み込んで新潟県東蒲原郡阿賀町へ。
多くの車が駆け抜ける、現道の五十島トンネルを抜けたところにある「道の駅みかわ」に車を停め、先日買ったばかりの折り畳みの自転車を組み立てて跨り、現五十島トンネル脇の側道へと向かった。
すると、すぐにこの場所に行きつく。

右側に現道の五十島トンネルがあり、ここは旧道に少し足を踏み入れたところだ。
ここからがいよいよ旧道。柵があるじゃないか。一見すると入れないように見えるが、柵の左側に人が一人通れるほどのスペースがあり、なぜか人が通れるようになっているし、気のせいか踏み跡もしっかりある。それに、路面には車のタイヤのダブルトラックも残っている。それを見ると今でもいくらかは人や車の通行があるようだ。愛車の自転車と共にバリケードの左脇をすり抜けて跨ると、ペダルを漕ぐ足に力を入れてのんびりと走っていく。

いかにも旧道と言った雰囲気の道が、私を出迎えてくれる。初めての旧道の雰囲気に感激していると、左脇の路肩に木々に埋もれそうになっている標識を見つけた。あれは高さ制限の標識!。その制限値は…3.3m。国道にしては低くないだろうか?。これはきっと、この先にある五十島隧道の規制値かなと言う気がする。

路肩には落石や草、枯葉が積もっていて、右側の法面にはコンクリート製の強固な擁壁も見えている。右の擁壁と左のガードロープの間が本来の路面幅だろうから、道幅はかなり広かったことは間違いない。今の道幅は路肩に降り積もった枯葉や倒木のせいで狭くなっているが通行には全く支障はなく、御覧の通り穏やかな路面だ。初めての旧道探索に年甲斐もなく胸をワクワクさせながら自転車を進めていく。

進んでいるうちに路面がぬかるみ始めたなと思ったら、この通り沢が路面に大量の土と水を供給していた。このおかげで路面のあちこちに水溜まりが出来て、一部は川のように流れを形成している。
その沢に上り、上から旧道を眺めてみた。それがこの画像だ。この道が現役だったころも、こうして沢の水が路面に流れていたのかと思ったが、そんなことはないか。

人は乗っていないが、これから五十島隧道に挑む自転車。沢の前に停めて、進行方向を眺めてみた。新緑の緑が眩しいし、左の路肩には「速度落せ」の大型の警戒標識が見えている。また、その奥には五十島ロックシェッドも見え隠れしている。また、ここも沢から運ばれた土砂で一見狭くなっているように感じるものの、よく観察してみると実は意外と道幅は広い。さすがは直轄国道と言うべきか。
なお、余談だがこの自転車はこの後、ちょいちょいレポートに登場する予定だ(笑)。

堂々とした貫禄を持つ、五十島ロックシェッド。この先の緩やかな右カーブを抜けると、その奥に今回の探索の目的である五十島隧道がある。その五十島隧道はもちろん現道の五十島トンネルの旧道なのだが、実はこの区間にはもう一本、この五十島隧道の旧道があると言う話を、どこかで聞いたことがある。
この探索が終わったら、調べてみようと思う。

五十島ロックシェッド内部。左の路肩に見える細い柱は昭和40年代のものと見た。路面にはくっきりと二重線の黄色いセンターラインが今でも残っている。だが、その路面は砂まみれで少し様子が変だ。おそらく、この砂は左脇を流れる阿賀野川が2011年に氾濫した時にもたらされたものだろう。左の路肩から水面までは優に10メートル近くはありそうだが、ここまで水面が上がってきたのだ。水の力は恐ろしい。ロックシェッド自体は思っていたより傷みは少なく乾燥していて、左側の支柱には高さ制限の標識が見える。
ところで、標識が支柱に取り付けられているロックシェッドと、先に見える五十島隧道の直前にあるロックシェッドでは、支柱の形も違うし形状も少し違うようだ。おそらく、この手前のロックシェッドは後年になって追加されたものと言う気がする。

新旧のロックシェッドの抜けると五十島隧道だ。ロックシェッドと直結されているので、坑門などは確認できないのが残念。トンネル断面はかなり狭くて、高さ制限が3.3メートルと言うのもうなづける。これでは大型トラックは通行するのにかなり神経を使っただろうし、運悪く大型同士が鉢合わせでもしようものなら大変だ。時代は物流輸送が鉄道からトラックに切り替わる過渡期だったから、この五十島隧道自体が国道のネックになっていたことが想像できる。

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ふり返って撮影した五十島隧道の内部。上部には照明装置も残されている。外見だけを見ると内部は比較的乾燥していて、少し補修すれば隧道自体は使えるんじゃないかと思っていたが、実はそうでもなさそうだ。ところどころトンネル内部の巻き立てが崩れて来ていて、結構危険かも。また、阿賀野川に面した右側はところどころ黒ずんでいるが、これは湧水かな。右側が結構傷んでいるような気がする。

壁面が痛んで巻き立てのコンクリートが脆く崩れてしまい、中の鉄筋が露出してしまっていた。この状態では、鉄筋自体も腐食しているだろう。漏水の影響だろうか。現道の五十島トンネルも内部は湧水が多いようで、路面はいつも湿っている状態だ。この付近には地下水の水脈があるのかもしれない。とりあえず、ここは補修しないと危険ではないか。

五十島隧道を出るとすぐの左路肩にこんな構造物がある。そこには3.3メートルの高さ制限の規制標識と、左カーブの警戒標識が倒れていた。周りには錆びた標識柱が見えていたりして痛々しいが、注目はその標識の大きさ。普段目にする大きさよりも、かなり大きい標識だ。
ところで、川に向かって降りているこの路肩の構造物は何だろうと思っていたら…

実はこれ、新潟県営五十島渡船の船着場の跡。
その昔、阿賀野川には全部で9箇所の渡船があったそうで、この五十島渡船もその一つ。五十島渡船は現道の五十島トンネルの手前から分岐する、新潟県一般県道135号五十島停車場線の五十島橋が完成するまでは、五十島集落と対岸の国道を結ぶ唯一の重要な渡船だったとのこと。階段を下りてみる。

今でもしっかりとした階段を降りていくと、ひょっとして川面まで降りれるかな?と淡い期待を持って進んでいったのだが、途中から階段が崩壊していて、それ以上降りることは不可能だった。無理に降りても上がれないので、やめておこう。

渡船場を過ぎて旧道に戻ると、こんな明るく美しい道が続く。右の法面と左路肩の杉林が絶妙だ。路面に降り積もった枯葉と緑のコントラストは素晴らしい。この景色はこの五十島旧道での、お気に入りの風景の一つ。

続いて、ここはトップページにも登場した風景。上の画像の地点から振り返って撮影した。
緑のコントラストと、柔らかな光の加減が実に美しい。

旧道は現道の合流部へと一直線に向かう。右の山側は多少土砂が流れてきているようだが、それを全く感じさせないほど道幅は非常に広い。一見して強固と思えるほどの擁壁が右側の法面に見える。旧道になってからの時間は、それまでの幅広かった国道から森の中の一本道のように見えるほどに景色を変えてしまった。中央に草が一直線に並んでいるのが見えるが、ここがおそらくセンターラインだったのかも?。

道はここで現道に接続している。五十島トンネル新潟側入口の直前だ。
実はこの道は今でも新潟県の手で管理されており、国土地理院の地形図上にも徒歩道として載っている。私はこの付近を仕事でよく通るのだが、国土交通省や新潟県の道路パトロールカーがこの合流部から現道に出てきているのを何回か見かけたことがあり、たまにこの旧道をパトロールしてるようだ。この区間は国道49号と新潟県一般県道17号が重複していることも関係あるのかなと考えてたりするが、詳細は不明。
それと、私が探索した時にはおサルさんが路面で遊んでいた。野生動物も結構頻繁に路上に出てくるようなので、探索時には注意が必要だ。

時間と共に自然に帰っていく旧道
そこには自然に溶け込んだ美しい道路の姿があった

一般国道49号旧道
五十島隧道

完結。