一般国道345号旧道
鬼坂隧道 第7部
「天国のような旧道」
2024年5月18日 探索 2024年9月9日 公開
天国のような旧道
さて、これからは坂野下側の坑口へ向かおう…と、その前に現在の鬼坂トンネルの坑口にある銘板を見ておこう。これは菅野代側の坑口の銘板だ。竣功は1991年9月。夏の暑い時期を過ぎて、これから雪が降り積もる冬の前の時季に竣功したようだ。延長717メートル、幅6メートル、制限高4.5メートルのこのトンネルは、この当時の鶴岡市(坂野下側)と西田川郡温海町(菅野代側)を無雪で繋ぐ道として大いに歓迎されたことだろう。その陰で、それまでの鬼坂隧道は役目を終えてひっそりと消えていったことになる。
栄枯盛衰と言ってしまえばそれまでだが、現在のトンネルが竣功するまで活躍した鬼坂隧道が、このまま忘れ去られていくのは道好きとしては非常に忍びないし冗談じゃない。歴史の狭間に埋もれてしまっては困る。隧道の坑口は封鎖されてしまったが、ぜひ今の鬼坂隧道に表舞台に出てきていただこう。
さぁ行こう!
さて、ここは坂野下側の現道との分岐点。どこかで見た覚えがある看板がこちらにも立っていた。ここに来た当時は付近の道路が工事中で(ちなみにこの工事中の道路も、おそらくは鬼坂トンネルの竣功時に改良された旧道の道筋だろうと思われる)、看板の間際に工事事務所があって撮影に非常に苦労した覚えがある。奥に見える黒い車は今回もベースとなる私の車だ。今回はここをベースとして探索を行った。
さて、今度は坂野下側の坑口にアプローチだ。なぜか片方だけ空いていた柵を越えて旧道へ向かう。菅野代側と違って道幅は十分にあり、今でも車の交通が出来るような立派な道のままで残っているのに驚いた。もしかして今でも何かの通行があるのだろうか。綺麗に整備された道からは、その理由はさっぱりわからない。だが、探索しやすいことだけは確かだ。
こうなると楠トンネルの探索に使った自転車が車にあるので、それに跨って探索をしようかと迷ったものの、地図を確認するとこの先は勾配が一定のまま高度だけ上がっているようで、やや衰えている脚力には一番面倒な坂道のような気がして徒歩での探索とした。さて、それが吉と出るか凶と出るか。
こんな画像を目にすると「ホントに旧道なのか?」と疑う方もいらっしゃるだろう。それも無理はない。私だって、この画像を見せられたら思わずそう思ってしまうだろう。だけどこの画像はホントだ。この安定した道幅、菅野代側とは大違いで現役の道路のようにも思える。道の両側もきちんと下草が刈られていたりして、およそ廃道とは思えない。左側に小屋らしきものが見えるが、ここに電力を供給するための管理道の役割があるんだろうか。
それにしては、ここまできっちり管理されている道もまた珍しいと思うが…。
小屋を過ぎて、更に先に進む。相変わらず道は管理されているようで、今でも現役の道と言えば通じるような様相を呈しているのは何故だろう?。探索時にはその理由に不思議で仕方なく、このレポートを書いている今でもさっぱりわからない。だが適当な日影があったので、ここで少々水分補給だ。…こんなに日影の部分が多いなんて、ここはまるで天国のような旧道じゃないか。だが、まだ先は長い。遥か(?)先に眠っている隧道に向かうのだ。夕刻が近いので先を急ごう。
これまで道と共に寄り添っていた電力線。それはまだ先へ続いている。この先に何があるんだろう?と思ってしまうが…ま、それはこの先を辿って行けばおのずとわかるだろう。それよりも今はミラー面が無くなったカーブミラーだ。交通量が国道として現役だった頃と比べて激減しているもんだから、カーブミラーもそれほど必要性がないだろうと思うけど、問題はそこじゃない。ミラー面を失った支柱はどことなく所在無げで寂しそうでもある。そういえば菅野代側の隧道の近くにも同じようなカーブミラーの支柱があったな。ここも念のために周囲を掻き分けてミラー面がないか調べたものの、本体は見つからなかった…。
次回、晴れ渡る空の下で山中を進む道。
そこから見える道の様子はいかに。
それはまさしく…?!