一般国道345号旧道
鬼坂隧道
 第11部
(完結編)
「穏やかな空間」

2024年5月18日 探索 2024年9月29日 公開

穏やかな空間

森の中にひっそりと佇む隧道。閉塞されている坑口はまるで不自然な壁のように見えるが、そこに繋がる道と、封鎖と言う役目を全うしてひしゃげてしまったガードレールのおかげで、ここが隧道の跡だと判別することが出来る。現道時代には数多く人や車が行き来したこの隧道も、閉塞されてしまった今はここを訪れる人は皆無なのかもしれないが、その割には不思議なほど綺麗に手入れされていた道がここまで案内してくれた。おかげでこの坂野下側の坑口まで難なく辿り着くことが出来た。

この風景の美しさに何となくここから離れがたいが、テント張ってキャンプする訳にもいかないし、クマ出没が多発している昨今そこまでの度胸は持ち合わせていないので、素直に戻ることにしよう。

この石垣は、ただの石垣か、それともその上にあった何かの建造物(例えば峠の茶屋とか)の基礎なのか・・・。石垣の上に平場が見えるから、たぶん何か建っていたんだろうなとは思うが・・・峠の茶屋だったらいいな。こんなところで一休みしてみたいもんだし、団子があったら食べてみたい。最近(2024年現在)は大雨や土砂崩れが多発しているが、この石垣も隧道と共にこれからも残っていてほしいと願う。

ベース地点に戻る帰り道、ふと右側を見てみると木々の隙間から現道が見えた。そうか、ちょうど現道の上を交差する地点だったんだな。菅野代側の交差地点では確認することが出来なかったから、坂野下側でこうして見れてよかった。それにしても結構な高低差があるもんだ。
現代のトンネルは標高がさほど高くないところをそのまま貫いていくので、場合によってはトンネル全長が長くなりがちだが、昔の隧道は全長を短くするために取り付け道路で標高を稼ぎ、峠に近くなったところを隧道で一気に貫く。こんなところにも時代の進化を感じられて、なかなか楽しい。

またまたふと道の脇を見てみると、側溝の脇がなんと石組みになっている。こんな側溝の造り方は昔から多かった訳ではないが、今となってはほとんど見られなくなったなぁ・・・と思わず眺めてしまう。でもって旧道や廃道の側溝は土が堆積していたり枯葉が積もっていたりして、おおよそ側溝としての役を成していないことが多いのだが、ここはそんなことはなく、透明で濁りのない雪解けの水が絶え間なく流れていた。

少し角度を変えて斜めから見てみる。きちんと成形された石が規則正しく並んで組み合う様子はとても美しい。と同時に側溝でU字溝ではなくこんな石垣を組み上げるとは、どんな施工なんだろうと思ってしまう。しかも道路側もキッチリとコンクリートで仕上げてある。もしかすると道路側も石垣をベースに上だけモルタルで固めてあるとか・・・?。どちらにしても贅沢な造りになっていることは間違いない。竣功当時のこの道に賭ける想いが伝わってくるようだ。

この後、ベース地点に戻ってこの旧道を離れたが、最後にこの探索で一番印象に残った風景を紹介しよう。・・・やっぱりこれかなぁ。

菅野代側の坑口。ここは明るい日差しに満ち溢れ、なおかつものすごく静かで穏やかな雰囲気に包まれていたことが印象的だった。左右対称な切通しの奥に、コンクリートのパネルで覆われたスパンドレル(アーチの円弧の外側の壁)。湧水で湿地帯となった路面を覆う鮮やかな下草の緑に、燦燦と降り注ぐ穏やかな太陽の光。とても穏やかな空間で、ここに鹿や熊、猿や小鳥がいたら、ものすごく絵になるような気がする。閉塞されてはいるが、こうした隧道の余生も良いんじゃないかと思える一枚だった。

鬼にまつわる言い伝えから、鬼坂峠と呼ばれるようになった笹通峠。今となれば、やっぱりこの峠は鬼坂峠の名称の方がしっくりくるような気がする。森の動物たちの楽園のような雰囲気の菅野代側の坑口に、針葉樹のピラスターが飾る荘厳で静謐な雰囲気の坂野下側の坑口。
これまで探索した道のすべてで思ってるような気がするが、今回もやっぱり思った。

この道がいつまでも美しい風景を見せてくれますように。

一般国道345号旧道
鬼坂隧道

完結。