一般国道345号
楠トンネル旧道

第7部
「陰から陽へ」

2024年5月18日 探索 2024年7月12日 公開

「陰から陽へ」

これまでいろんな峠を通ってきたが、そこでいつも感じるのは、峠には「陰」と「陽」があるということ。これをこの楠峠に当てはめると、これまで通ってきた菅野代側の道が「陰」で、温海川側に降りるこの道が「陽」ということになるだろうか。峠を越えると途端に陽射しが強くなった気がする。

その豊かな日差しのせいか、さっきまでセンターラインの跡が見えていたあの広々とした路面は、今はすくすくと育った下草に覆われて、また1車線の道に戻ってしまっている。ここでも路面にはダブルトラックが。ということは、温海川側からここまでの道程も、支障なく通れる可能性が高いということだ。倒木だったり、軽く崩れていた方が…いや、走りやすいのは良いことだな(笑)。

あちーなぁ・・・

さて、峠の「陰」から「陽」になったのは良いが、5月という初夏にも関わらず、強い日差しが降り注ぐ旧道。この先に日陰があったら、そこで少し休憩しようと決めて先へ進みつつ、この道が現役だったころに想いを馳せてみる。

今の道の状態からは想像も出来ないが、賑やかに車が通っていたことだろう。だけど峠道だけに標高もそれなりに上がっているから、急勾配や急カーブが連続している道。そんな道は、上りも下りも通行するのに周囲が必要な(雨や雪の日には特に)かなり危険だったと思う。だから線形の改良と無雪道路化を目的に、楠トンネルを含めた現道が造られたんだろうな・・・などと、ここでもまたブツブツ呟きながら(←思いっきりアヤしいヤツ(笑))のんびりと自転車を漕いでいく。

道路は続くよ~どこまでも~♪

周囲に誰もいないことをいいことに、つい大声で歌ってしまったが…待てよ。ありゃ道路じゃなくて線路だったか。その道は国道だった昔の広々とした道の面影はなく、木々に囲まれて細々と進む林道のような道。何も知らずにここを通れば、きっと林道と思うだろう。せめて国道であった痕跡が何かしら残ってくれていればいいんだけど、道端に標柱もないし、それを示すものは何もない。標識でもあれば嬉しいんだけどなぁ。路肩に何か痕跡は無いかと自転車を停めてゴソゴソと探してみるけど、見つからなかった。

先程の場所で国道の痕跡を路肩で探した後も、どこかに何かないかと周囲に注意を払いつつ、旧道の周囲の景色を楽しみながら自転車をキコキコ漕ぎながら進んでいると、こんなところに辿り着いた。ここだけ木々に囲まれて日陰が満載!。まるで旧道上のオアシスみたいだ。さっきからやっぱり暑いし、ここで自転車を停めて、しばし休憩としよう。予備の撮影機材を入れたリュックを下してヘルメットを脱ぎ、タオルで汗を拭いながらすっかり温くなったルイボスティーを一口飲んで深呼吸。時折り緩く吹く風が、汗ばんだ身体の熱を奪ってくれて気持ちいいし、鮮やかな緑が美しい。

オアシスの木陰と緩く吹く風でクールダウンして熱中症を防いだら、仕切り直して出発だ。峠を出てからここまで、道の標高はさほど上下することなく、ほとんど水平に進んでいたが、ここに来てようやく下り坂になってきた。ここからいよいよ本格的に温海川の集落を目指して進んでいくようだ。それに伴って道の左右は山側の斜面やら路肩側の崖やらが接近して山道の様相を呈してくるが、この道は地盤が安定しているのか、それとも道の歴史が古いのか、擁壁や雪崩防止柵などの道路防護施設がほとんどないことに気づく。
見落としているのか…?。いやいや、あれば当然気づくだろうが、それもない。せいぜい菅野代側の煉瓦色のガードレールくらいで、デリニエータや標柱の類は一切ないのだ。これがなんとも寂しい。

林を切り拓いて、そこに盛り土して路盤を造りました!といった感じの旧道路盤。ここだけ見てると林道だが、盛り土の上に道路があると言うことは、現道時代もこの付近はずっとこの道幅だったのかしら?。もう少し広くてもいいんじゃないの?と言う気もするが、どうだろう。だが、全体的に菅野代側の道と比べて、こちらの道は人の手が入って管理されているなと言う気がする。冒頭で紹介したように地理院地図にはこの旧道の記載があるので、自治体などが管理しているのかもしれない。それなら、今も残る(現役?)ダブルトラックも説明が付く。


快調すぎるほど快調に進む、今回の探索。先に何かなければいいが…とつい思ってしまうが、注意して進もう。
そんな私を、次回は熱烈に出迎えてくれるものが!。それは「淡く、つい視線を奪われるもの」。

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