一般国道345号
楠トンネル旧道

第6部
「遥かなる雷」

2024年5月18日 探索 2024年7月8日 公開

「遥かなる雷」

菅野代橋を渡るところから始まった今回の探索。五十川の脇を通って道路構造物の遺構を右手に見ながら進んでいくと、アスファルトが残されていた道が緑の悪魔に覆われはじめ、左手に耕作放棄地を見ながら煉瓦色のガードレールに護られた道を進むと、やがて道は妙に静かな森を通り、やがてバリケードらしきものへ。そして、それを潜って見えた景色がこれだ。

一番遠くに見える山のあたりが、新潟県と山形県の県境にある雷峠(いかづちとうげ)あたりだろうか。この雷峠には新潟県主要地方道52号(同番号が山形県でも付与されている)山北関川線が通っていて、途中にある日本国トンネル旧道がレポートになっている。こうして眺めてみると遠くへ来たもんだと実感するが、その遥か先の雷峠が見える楠峠とは、以前からその名が知れた峠だったのかもしれないと、この景色を見て思った。

この景色が見える周辺は木々がなく、まさしく峠。広場になっているのは、おそらく現道時代はここに展望広場などの施設があったのかもしれない。景色がよく見晴らしがいい峠は、実に気持ちよくて清々しい。

菅野代側から登ってくると、このバリケードらしきものを越えて峠に到達することになる。こっち側から見ると現道時代の道幅がよくわかる。バリケード周囲には木々が無くて下草だけの場所があるが、これが道幅だろう。なお、右隅には自転車が少し映り込んでいるのはご愛敬だ。

こうして抜けてきた道の画像を見てみると、なんともすごい道を抜けてきたもんだとつい思ってしまうが、実際に通ってみるとそんなことはないと言うのは、これまでレポートしてきた通りだ。ここまで自転車を連れてきたのは、ここから温海川側に降りる際に楽をしたいの一言に尽きる。もちろん、そこから現道の楠峠トンネルを通って菅野代橋のそばのベース地点に戻るまでの道程も、歩くよりかは楽が出来るし(笑)。

峠から温海川方向に下る道を望む。山の斜面に「これでもか」と言うほど峠道の痕跡が残っているのがよくわかる。峠付近にもアスファルトはちゃんと残されていて、ここから先も通行するのに支障はなさそうだ。もしかすると菅野代側よりも楽かもしれない。右側にはおおよそ展望場所のような広場が。最初の画像は、ここから撮影したものだ。

峠から改めて周囲の景色を眺めてみる。遥か昔にはここから見える雷峠付近まで歩いて目指していたんだなぁと思うと、気が遠くなる道程。いったい何日かかっていたんだろうか。なるほど、だから途中にいくつかの宿場の集落が必要になるわけだ。一日じゃいけないわな。

さて、では温海川方向へ降りていこう。道幅は一車線ほどしかなく、その道が山の斜面に張り付くように先へ進んでいる。路面はダブルトラックではなくてアスファルトがしっかり見えているので、とりあえず通行するには問題なさそうだが、標高から見てもこの道は冬季は積雪で通行止めになっていたはず。となると、現道の楠トンネルが開通したことで冬季通行止めが解消されたことになるから、現道はいわゆる無雪道路だったんだな。もちろん緊急車両も通行できるようになるので、孤立から解消される。…やはり道路は人も物も文化も繋ぐ、大事な存在だと言うことを実感した。

自転車に乗って、のんびりと下っていく旧道。路面にはこの峠お決まりのダブルトラック。ここもやはり定期的に車の通行があるようだ。ただ、峠のバリケードの様子から見ると、菅野代側と温海川側の車同士の行き来は途絶えているようでもある。旧道や廃道化しても、ここまでダブルトラックがあるんなら、いっそのこと行き来すりゃいいんじゃないかと思ってしまうが…。それにしても暑いな。先に見える日陰で一休みしようか。

ここで発見した!。何気なく路面を見ると、センターラインの跡が見える。おお、ここも2車線で対面交通が出来る道だったんだな。ここまでちゃんと整備されているのに廃道化してしまっているのは、実にもったいないと思うのは、私だけではないだろう。景色もいいし、観光道路にでもならないだろうかと思ってしまうが、そうはならないのは何か理由があるのかもしれない。

こうして旧道や廃道を辿っていると、新しく道路を造って交通を確保するというのはもちろん必要なことだが、それに従って旧道や廃道化した道に少し手を入れて交通を確保するのも、一つの手ではないかと思ってしまう。
実際の例でも、災害で土砂崩れが発生した道路を復旧させるまで交通を確保するため、旧道を再度整備したという例があったりする。切り替えた道路を保存してもいいんじゃないかと思ってしまうのは、道路好きのエゴだろうか。


次回、初夏の日差しに照らされながら、温海川側へ緩やかに降りていく旧道。
そこを自転車でのんびりと進んでいく。

第7部
「陰から陽へ」