一般国道345号
楠トンネル旧道

第2部
縦縞のフラッシュバック

2024年5月18日 探索 2024年6月18日 公開

縦縞のフラッシュバック



旧道の脇を流れる五十川。現道が越えている五十川の幅よりも遥かに狭い川幅で脇を流れているが、その流れる川の水の音が辺りに響いて、心に涼を与えてくれる。でも、この川は水面から路面までの高さがあまりない。雨が降って川が増水したりなんかすると、川の水が道路まで押し寄せてきてたんではなかろうか。

チェンジ後の画像は、その五十川の流れを撮影したものだ。どうです?なかなか綺麗な流れでしょう?。
こういった流れを見ると、スイカを冷やしたくなる(笑)。
小さいころ、家の近くにこういった水が綺麗な渓流があって(小さい頃は、さほど高くはない山の近くに住んでいた)、そこでスイカを冷やしていた。冷蔵庫で冷やすよりもよく冷えていて、そのスイカを縁側で食べて種を飛ばしていたことを思い出した。探索をしていると、こうして小さい頃のことを思い出すことがたまにある。そのたびに懐かしい想いに駆られ、久しぶりにあの場所に戻ってみようかとも思うが…多分、戻ることはないだろうな。

ひとしきり懐かしい想いに駆られた後は、また探索に戻る。道は相変わらずダブルトラックがあるものの、中心に草が生え始めている。道の左側には田圃が広がり、のどかな風景が広がっているが、旧道はこれから楠峠に挑もうと徐々に高度を上げてきていることが画像からおわかりいただけると思う。そういえば道幅もかなり狭くなってきた。最初のころの道幅はどこへ行ったんだろうというほどだ。
ここまでくると自転車は降りて押して歩いている。いやほら、きちんと周りを確認しながら進まなきゃいけないからね(←言い訳)。

道の左側に田圃を眺めながら進んでいくと、現れました!擁壁!。その表面のほとんどは今は苔生しているが、竣工当時はどんな姿だったのか。それは擁壁の右端に現れている。どうやらブロック積みやレンガ積みを模した意匠が施されていたようだ。当時は何気ない擁壁で風景だったかもしれないが、道路の交通がほとんど無くなってしまった今、こうした擁壁でも往時を知る手がかりになることもある。ここも第1部で見つけた落石止めと同じく過去に斜面が一度崩れてしまい、それを復旧させる時に施工された擁壁のようだ。

川と山の斜面の隙間を縫うように、峠を目指して進む旧道。
そこには昔を思い出させてくれる風景があるが、その裏に土砂災害と戦った歴史が垣間見える。その瞬間が私は大好きだ。だから、探索をやめられない。

徐々に五十川と別れ、道は山の中に突っ込んでいく。いよいよ峠道の始まりだ。現道時代にはもう少し広かったのだろうが、今は周囲の草が徐々に張り出してきて、車1台が通るのがやっとになっている。だけど自転車を押している身としては、路面が舗装されているのが一番ありがたい。

…今ここで右側からヌッとプーさんが現れたらどうしようか。そんな思いが一瞬頭によぎる。腰に付けたバトルアックス(←ナタ)の存在を確認する手に、思わず力が入る。今は考えないようにしとこう。

てくてくてく…やっぱりいいよねぇ。以前は車が頻繁に通行していて(たぶん)、多くの人が行き交っていて(おそらく)、賑やかな道だった(きっと)。そんな道を、今は私が独り占めしている。自転車を押してキョロキョロしながら楽しみつつ進む私の脳裏に、一つの言葉が浮かぶ。蒲萄峠を通った時に思った言葉だ。

人が道を通し、道が人を通す
そこには決して表に出ることのない
数多くの隠れた物語がある

この道の物語を私はちゃんと辿れるかなぁ。でも、私が通るのを待ってくれていたこの道のためにも(←たぶんそんなことはないだろうが、ここはそうだとして話を進めよう)、ちゃんと進まないとな。

あたりをいつものごとくキョロキョロしながら歩いていくと、左側の路肩にオレンジ色のポールが。途中で何だか妙な折れ曲がり方をしているが、これはカーブミラーのポールだろう。ということは、ここは見通しが悪かったということだ。ミラー面が取れてしまって支柱が折れ曲がってしまうのに、どのくらいの時間が経過したんだろうか。たった一本の支柱でも、その裏にある長い時間を感じさせてくれる。

徐々に旧道…と言うよりも廃道の雰囲気を増してくる楠峠の峠道。
これから先の道の様子がどんな風になっているか、非常に楽しみだ。願わくば自転車が押して上がれる道になっていてくれと願う(笑)

第3部
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