一般国道345号
楠トンネル旧道

第10部
「虎に看板」

2024年5月18日 探索 2024年7月24日 公開

虎に看板

左カーブを進んでいくと、やがて長元橋がはっきり見えてくるようになって、現道の存在が身近なものとなってくる。もうすぐ現道との合流だろうが、その手前で旧道の女神からご褒美をいただいた。左側にひっそりと立っているのは「T型道路交差点あり(標識番号201-C)」の標識じゃないか!。

この標識が設置されたのはきっと旧道化してからで、しかも設置された時点では現道も旧道も、車両の交通がそれなりにあったということの証拠だ。そうでないと旧道上にこの標識を設置する意味がないし、現道が開通した時点で旧道の交通を遮断したのなら、この標識を設置する必要がないからだ。それに、この標識の設置者の表示は見当たらなかったが、おそらくは山形県だろう。もしかすると国道の指定から外れたあと、今も鶴岡市道として存在しているのかもしれない。

前回の最後で路肩にデリニエータを見つけた私は、そのまま歓喜の気持ちを味わいながら先に進んだ。すると、予想通り現道にたどり着く。ここは…位置からすると現道のトンネルの温海川側、トンネル坑口の少し手前の場所だ。そうか、ここが旧道の分岐点だったのか。
改めてこの分岐点を見ると、これ見よがしであることに気づく。特に左側の森の境目のラインなんか、いかにも「旧道の分岐点です」と言わんばかりだ。ここは菅野代側のベース地点に向かう際に一度通ったはずで、その時に気づかなかったというのは、私もまだまだ修行が足りない。

現道への合流点に自転車を停めて、温海川側に少し戻ったところから分岐点を撮影してみた。青空が非常に眩しくて、「抜けるような青空」とはまさしくこのような空を指すのかなと思ってしまうような、美しい青空だ。
この地点から旧道は右方向に分岐している。縁石の外側の斜面が緩やかな弧を描いて山の方に向かっているのが見えると思うが、旧道はこの緩やかな弧の通りに進んでいた。その旧道の、もともとは路盤であっただろう場所が花壇のように整備されていて(今は草むらになってしまっているが)、現道の開通時はきっと華やかだったことだろう。

現道に合流したところで停めた自転車を、旧道をバックに撮影してみた。自転車の後ろに通せんぼしている黄色と黒のトラロープの姿が見える。前回の最後で「そこで見たものは…?」と思わせぶりな書き方をしてしまったが、実はこの場所の左側に「入山禁止」の看板があって、それでこの場所にトラロープが張られていたのだった。これまでのレポートの通り、私は菅野代側から入って温海川側のこの場所に下りてきているので、この看板の存在は知る由もなく…と言うわけだ。この看板の画像はなぜか撮影しておらず、やっぱり画像がないとわかりにくいと思うので、グーグルマップの画像を埋め込んでみたのが次の画像だ。

この位置が現道と旧道の分岐点で、私が自転車を撮影した場所は中央に見える赤と白の看板の右側というわけだ。私はレポートの通り道路は通ったが、付近の山中には一切立ち入ってはいない。この「入山禁止」の意味は、おそらく山菜取りの関係が理由じゃないかとも思うのだが、それはあくまでも私の推察であって、確証はないことをお断りしておく。

さて、無事に温海川側に下りてきたので、今度は現道のトンネルを通って菅野代側のベース地点に戻らないといけない。ということで現道のトンネル。長元橋を渡ってキコキコと自転車を漕いでしばらく進むと、やがて現道のトンネルに対峙する。左側に「P」の標識が見えるが、ここは山中の道にはすごく意外な広い駐車場がある。この駐車場はおそらく、このトンネルが造られるときの現場事務所が設置された場所ではないかと思う。

…と、ここで大変なことに気づいた。私は今までこのレポートのタイトルやレポートの中で、現道のこのトンネルの名称を「楠峠トンネル」と書いてきたが、違っていた!。正しくは「楠トンネル」じゃないか!。…う~ん、どうしよう。修正するか?。でも今から変更するのもなかなか大変だし、もうすぐ完結だし…URLはそのままで、名前だけ変えようか(^^;

ということで、正しくは楠トンネルという名前の現道のトンネルの銘板を見てみよう。発注者は山形県、竣工は1995年(平成7年)11月。このレポートを書いているのが2024年だから、およそ30年前。すると、あの旧道は30年前からずっとひっそりと過ごしていたということか。あの菅野代のフェンス峠からの景色も、薄紫の花束も、今まで見てきた景色や道路構造物すべて。この道に出会えてよかった。何より、峠からは遥か新潟県の雷(いかづち)を望む峠。その景色を見れてよかった。

人や車を通して賑わっていた道たちを
もう一度表舞台へ。
この探索も次回、完結。

第11部(完結編)
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