一般国道345号旧道
大正浦隧道
2018年5月6日 探索・2018年7月6日 公開
ここは、とある新潟県北部の国道。
新潟県村上市から山形県庄内地方へ海沿いを北上する道は、村上市勝木(がつぎ)を境として二つの国道で突き抜けているが、この中でも新潟県村上市から村上市勝木に抜ける国道345号は、複雑な地形や海岸線をぶち抜いて繋いでいる。
しかし、昭和40年代後半までここを通り抜ける車道はなく、徒歩道なり崖道なり、隣り合う集落を繋ぐ細い道しかなかった。だが実はこの道にはその当時から数多くの隧道があり、その大半は今もコソッと現道の影に隠れて存在していたりする。
この隧道群は近日中に探索する予定なのだが、その前にまず一番最初に紹介するべきであろう、いや、ぜひ知っておいていただきたい非常に貴重な隧道がある。まずはこれを紹介しよう。
いかがだろうか。廃道臭満載の、なかなかいい感じの隧道ではないか。
新潟方面から来ると、この姿を最初に右側に見ることが出来る。手前の落石覆い(シェッド)は海沿いの塩風劣化によってボロボロになっていて、中の鉄筋が見えていたりして劣化が非常に進んでいるが、隧道本体の内部はとてもきれいだったりする。では、隧道の中を御覧頂こう。
明るさを上げて調整したが、ちょっと暗くて見えにくいだろうか。
現道は、この隧道より海沿いを橋で駆け抜けており、「この辺かな?」と注意して見ておかないと、すぐに通り過ぎてしまう。この隧道、通り抜けてみたい。思わずそんな衝動に駆られた…んだけど、ひとまず今はやめておいた。一枚目の画像を見て頂くとわかるが、この隧道に入るには入口に隣接しているロックシェッドの脇を通れば入れそうである。しかし、この時は履いていた靴が普通の靴だった。誤って滑って海に転落すれば、下の海岸は岩場になっているので生命の危険がある。では、この短くて今は封鎖されている隧道をなぜ一番最初に紹介したかったのか?。それはこの隧道の竣工年月日による。
この隧道の竣工は今から実に160年前なのだ。160年前と言うと大正時代?いやいや。明治時代?う~ん、それも違う。
実はこの隧道、竣工は1858年。大正も明治もブッ飛ばして、なんと江戸時代(安政5年)の竣工なのだ(日本の廃道 隧道データベースによる)。安政5年と言えば第13代将軍徳川家定か、第14代将軍徳川家茂の時代ではないか!
築108年目で新潟県一般県道村上温海線だった1966年(昭和41年)に全面リニューアル。この時に現在のようなコンクリート吹付を得て車道としての拡幅も受ける。そして、1975年(昭和50年)にひとまず国道345号となったが、日々増大する交通量に対して拡幅してもこの隧道は狭かったのだろう。おまけに前後が急カーブで交通の障害となっていたようだ。結局短期間で現道にバトンを渡すことになり、1989年(平成元年)に廃道となる。
昭和初期に発行された『明治工業史』の土木編には、江戸時代竣工の隧道が全国に6本現存していたという記述がある。しかし平成30年現在も隧道として現存しているものは、少なくとも東日本ではこれ一本だけと言う希少さだ。
新潟県や村上市の行政の方々に、切に願う。
こんなに歴史的価値のある近代土木遺産が海風に晒されて誰にも気づかれることなく、多くの人を通し続けたその功績を誇ることなく、今も厳に存在し続けている。せめて案内板の一枚でも立てられないものだろうか。
竣工から今年(2018年)で、なんと160年
安政、明治、大正、昭和、平成
そして来年には次なる元号へと移ろうとしている中
確かにそこに存在し続ける、超が付くほど古豪の隧道
それは…
一般国道345号旧道
大正浦隧道
完結。