一般国道345号旧道
尺ナギ隧道
2018年7月16日 探索・2018年7月16日 公開
2018年10月14日加筆修正
素掘りの隧道
蒸し暑い夏の、とある日曜日の早朝。朝5時に新潟市の自宅を出て、一路北へ向かった。
今日はいくつかの隧道に行く予定なのだが、まずは一番行きたかった隧道へ行くことにした。
それがこの隧道。まずはご覧頂こう!。
この隧道の竣工は⼤正時代初期。もともと⼈道だったこの隧道の本来の大きさ(断面)は、⾼さ1.2m、幅0.9mという非常に小さな隧道だった。
この断面の小ささの理由は、この付近の道にある。この周辺の道路は新潟県一般県道から主要地方道に指定され、更に国道に指定されるという歴史を辿るのだが、国道に指定されても、その道自体は非常に狭路だったのだ。まずは地図を見て頂こう。
眼鏡岩と記載がある海岸線の部分、上側が山形方面、下側が新潟方面。
隧道が3本あるが、それぞれ「炭沢(たんざわ)隧道」、「アカタビラ隧道」「カタガリ松隧道」。次に…
今度は1977年(昭和52年)の同位置の地形図である。この時点でも同じ。1975年(昭和50年)の国道指定に合わせて、道も改修されたのだろう。
さぁそれでは、次は一気に飛んで1910年(明治43年)!
…ん?この頃には隧道が5本ある。しかも道が破線になっているじゃないか。この破線の意味は「小径(こみち)」。そう、この板貝~笹川間は、この時代は文字通り人が歩く程度の幅の道路しかなかったのだ。
板貝側から「炭沢隧道」「尺ナギ隧道」「アカタビラ隧道」「平⽊隧道」「カタガリ松隧道」と言った。
現在では平木隧道は開削(隧道の天井を切り崩し、切通しとすること)され、地形にわずかに跡をとどめるが、炭沢・アカタビラ・カタガリ松の3本の隧道は改修され、現在のトンネルになった。…おや?、「尺ナギ隧道」はどこに行った?。
そう、最初に出てきた素掘りの隧道の画像は、現役だった頃を今でもしっかりと留める姿で「コソッ」と残っている(ホントにコソッとなのだ)「尺ナギ隧道」そのものなのである!。
いざ、尺ナギ隧道へ
これがその尺ナギ隧道だ。その昔、ここは立派な車道だったとのことだが…
これが?!すげーせめーぞ?!
今と違い、昔の自動車は全体的に小さく出来ていた。私が小さいころ、もう成人だった兄は一人暮らししていたが、お盆や正月になると軽自動車に乗って帰省していた。その頃は私が小さいこともあってか、軽自動車自体がすごく大きく見えたのを覚えている。しかし今、その時代の自動車を見ると、今の自動車と比べてもとても小さく見えるし、実際小さい。この隧道はきっとその頃の自動車が通っていたのだ。
つまり、このくらいの幅員でも大丈夫だったことになるが、それでも交互通行でないと通れなかっただろう。
ちなみにこの画像は板貝側坑口。いかにも手彫りの隧道らしく、とても雰囲気がある。私は好きだ。
笹川側から撮影。内部は意外にも乾燥していて、特に傷みも崩落もなく、隧道として良い状態である。
しかも崩落も少ないので、意図的に壊さない限りはまだまだ頑張っていそうだ。坑口の地面が少し高くなっているのは、坑口付近の天井が少し崩れたためだろう。
これは板貝側坑口から出たところで撮影した。これはもしかして…と思ったあなたはスルドイ(^^)
そう、この隧道の山形側の入り口は、アカタビラ隧道とカタガリ松隧道の間にあるシェッドの隙間?から入るのである。…そんなんわかるかっ!(^^;
大正初期の竣工から現在までそこにあり続け
今でも人を通し続ける隧道
(今日、私が通ったから、それは間違いない(笑))
一般国道345号旧道
尺ナギ隧道
完結。