新潟県一般県道480号
山中上野線
 第2章 第6部
(完結編)
「過去と未来のパラレルロード」

2024年9月28日 探索 2025年9月24日 公開

過去と未来のパラレルロード

出てくるなよークマ!と願いながら、探索を進めていく。車に乗って探索しているので、その分まだ気が楽だが…。それでも、出てきて突進されると車はタダでは済まないだろう。そうすると、何かと困ってしまうので、やっぱり出てこない方がいいと言うことになる。

でも、道形は改良(とは言っても道幅拡張して舗装して…くらいだったのかもしれないが)される前の峠道の様相をよく残していると思う。それに、森の雰囲気がまた素晴らしい。広葉樹針葉樹織り交ぜた多くの木々が茂っていて、これなら食べる木の実も多いんではないか?と思ったりするのだが…。

手前は…以前は田圃だったのだろうか。いい感じで平地になっていたりして、この高い山の土地でさえ、以前は耕作されていたんだなぁと思うと感慨深い。きっと今の時季は、金色の稲穂が風にそよいでいたことだろう。その頃は、人もクマも上手に共生していた時代。お互いにこの山の中で生きていることを尊重し、お互いに山から恵を受けて生きていることを喜んでいたから、共生出来ていたのかなぁと、ふと思う。そこに、この道が多くの交通を通し、農機具をこの標高の高いところまで上げることを可能にして、ここで米を作っていた。水はミネラル分たっぷりの、山の湧き水だっただろうから、それで出来たお米が美味しくないわけがない。…この道のそばで育ったお米を、一度食べてみたかった。そう思った。

進むと、右側に限度が見えてくる。ここまでくると、さほど高低差もなく合流となるだろう。長かったが、もうすぐこの探索も終わりになる。現在の国道252号と比べて旧い街道に沿った道が、なんとも魅力的だった。ここもいかにも山を切り取ったような道が素晴らしい。災害で苦しめられた道は新しい道が代わりにその役目を果たし、旧道は県道として活躍(一部を除いて)している。そうなると、柏崎市十日町市境の仙田隧道から中仙田までの区間がもったいなく感じる。いい道なんだけどなぁ…。

真っすぐ直線的に合流する。その違いは道の高度のみ。片方は高度を上げて峠に向かい、もう片方は山に真っすぐ向かっていき、越ヶ沢トンネルに入っていく。旧道はここまでくると道幅も広くなり、現道と張り合うくらい(?)広く見える。旧道は延々と長い坂道になっている。その頃の車は今の車に比べていささか非力だったはず。現道時代は車は上るにも下るにも大変だっただろうなぁ。

旧道は、このように最後の最後で急に角度を変え、ほぼ直角に現道に合流する。ここが県道480号の終点。越ヶ沢トンネルの上野集落側の出口のすぐ近くだ。終わり方がなんだかあっけなくもあるけど、ここが県道480号の上野側の合流点。長かった県道480号の探索も、これで終わりを迎える。なんだか…自転車、歩き、車と様々な探索方法を使って辿った道だった。

この探索の全体を通して一番印象に残った風景が二つある。一つ目はここだ。隧道の画像と違っていて申し訳ない。でも、このお地蔵様こそがこの道の古さに気付くきっかけとなった要因だった。ブロックでしっかりと囲まれたお社は背が高い針葉樹に囲まれ、大量の雪が頭上に落ちてくることもなく、仮に落ちてきたとしてもブロック製のお社に護られ、壊れることはない。そのお社の中に鎮座する、一体のお地蔵様。お地蔵様の台座には交通安全祈願と記されている。この道が国道時代に(と言うことは今もなのだが)なかなか危険だったと言うことを物語っているといってもいいかもしれない。

実際に道を辿ったとき、仙田隧道を抜けて中仙田側に降りるまで、なかなか刺激的な道だった。

二つ目はここだ。そう、上野集落側に降りる直前の峠。左右の斜面を丸石の石垣に囲まれた、いかにも歴史ある道の風景。この道の風景が、お地蔵様と共に一番心に残った。ここ、どんな人が通ったんだろうか。車か、バスか、トラックか。あるいは三輪のミゼット?。当時の風景を思い起こしてみると、楽しかった。

途中で坑道の直径が変わる仙田隧道や、右に左に曲がりながら降りていく道。バッタリ鹿に会ったりもして、素敵な(?)道。この道はぜひ整備していただいて、県道として再開してほしいと思う。そしていつか旧旧道の探索も行ってみたいが、
これはいつか辿ることにしよう。まず一旦は…

新潟県一般県道480号
山中上野線

完結!

新潟県一般県道480号 山中上野線