新潟県一般県道480号
山中上野線
 第2章 第4部
「苔色のストーンウォール」

2024年9月28日 探索 2025年9月14日 公開

苔色のストーンウォール

小さい峠を越えて、なおも標高を上げ続ける旧道。路面の右側には、離合が出来るように設置されたものなのかわからないが、申し訳程度のスペースがこしらえられている。だが、この道幅では普通車同士の離合は難しく…安全に離合するなら軽自動車が精いっぱいだろう。ここで右側に脱輪して路肩逸脱すれば、一見すると大丈夫なように見えるが、実は結構急な斜面になっているので、注意が必要だ。

前の画像から右のカーブを抜けて進むと、このような場所に出てくる。旧道は更に狭くなり、森の中に突っ込んで行くような形で進んでいく。このような道だと県道では珍しくはないが、これが三桁の国道とすると…あまり出会うことはないように思うし、あるなら「酷道」に認定だろう。ちなみに私はこういった道は嫌いではない(と言うか、大好きだ(笑))。今回は酷道くずれの険道と言うことで、後半部分も意気揚々として探索している。

路肩には路側帯を示す白線の跡があり、ここが一応整備された道だったことを示している。また右側正面には石垣で組み上げられた高台のような構造物があって、そこに一本の柱のようなものが立っている。…ありゃなんだろう?。標識柱でもなさそうだし、何かの木にしては枝もないし不自然で、多分電柱の跡なのではないかと思ったりしているが、何しろ表面がびっしりとツタで覆われているので、何かはわからなかった。

下草が伸びる路肩をよく見ると、側溝が整備されているのがわかる。それに、この綺麗に整備された斜面。よーく見ると…おおっ!石垣もあるじゃないかっ!。
定期的に草刈りがされているのかどうかはわからないが、いずれにせよ、何か人の手が入っていないと、ここまで綺麗には保たれないだろう。下草が伸びてきて、それが次第に路面を覆い、やがては廃道のようになってしまうから、そうはなっていないと言うことは、まだこの道が生きていると言うことの証でもあるから、これを見たときに嬉しかった。
それに、石垣が残っているのが、何よりいいじゃないか!。これは愛でねばなるまいっ!。

左側の法面を見ると…なんと!こちら側にも丸石積みの石垣が組まれている!。これを見ただけでも、ここまでやってきた甲斐があろうというもの。古くからの存在している道が国道になった道では、隧道で貫いている峠は別として、こういった峠部分の道はしっかりと整備してあるような気がする。国道7号の蒲萄峠もそうだった。
ここも、前後はともかく、この部分は非常にしっかり造られているように感じる。石垣を見ていた視線を上に上げてみると…!。

おお!いいねぇ!峠だ!

典型的な峠の風景が、目の前にあった!。左右が丸石積みの擁壁で覆われていて、その石垣が崩れ一つない強固な擁壁。ここは少なからず、2004年(平成16年)10月23日17時56分に新潟県中越地方を震源として発生したM6.8の中越地震の影響を受けていると思う。その中でも耐え抜いた擁壁が今、私の目の前にこうして存在しているかと思うと、感激以外の何物でもない。よくぞ崩れなかったものだ。この峠の下には現道の「越ヶ沢トンネル」が通っているはずで、旧道と現道の合流点もここにある。この探索もあと少しで終わりになると思うと、なんだか口惜しい。

などと思いつつも、まだ峠に留まって石垣を愛でている私だ(笑)。
いいねぇ…この、地味に控えめに目立たない、丸石積みの石垣。こういった石垣はあまり見かけなくなってしまったが、これがその道の歴史を示してくれる生き証人になってくれることもある。この表面の苔の付き具合なんか、実にいいではないか。現道のトンネルの上に、旧道の峠があるというのは珍しいことではないけど、この峠はなんだか「味」があるなぁ…と思ってしまう。

次回!、先へ進み始めるか、石垣を愛でているか?
どっちだ?!

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