新潟県一般県道480号
山中上野線 第9部
「宿場を目指して」
2024年9月28日 探索 2025年2月26日 公開
「宿場を目指して」

擁壁を思う存分愛でたあとは、また探索に戻ることにしよう。路肩には路側帯の擦れた白線、路面の中央にはセンターラインが残る道を、自転車を押して歩いていく。路面のひび割れには草が生え、路肩には下草が侵食していて、狭くなる道幅。こうして見ると道幅は広いものの、どことなく昔の道の風景を残している風景。ここは廃道ではなく、ちゃんと新潟県から県道に指定されてはいるものの、さほど手を入れられることもなく放置されているようにも見える道。その姿は、どことなく寂しげでもある。

前の画像でも小さく見えているが、左の路肩にはガードレールの支柱が。周辺を見回してみるものの他には見当たらず、ガードレールが設置されているのはここだけだったと思われる。「なんでここだけ…?」と思ってしまうが、一番奥の支柱のすぐ脇を見てみると斜面が小さく崩れた跡が。ガードレールが設置された要因はこれなのか?。内心「違うだろう」と思いつつ、この区間だけに設置された理由がわからない。まずは崩れた跡の真下に行って崩れた跡を覗き込んでみようか。

路面を見る限りでは崩れ方はさほどではないだろうと思ったものの、真下に行って上を見てみると…あちゃー、結構崩れてたのね。これは結構上方から崩れてきているようだ。こんな感じで崩れるところが多いために、この道の入口に落石注意としてバリケードが設置されていたのかもしれない。しかも、森の木々に隠されて画像でははっきりとは見えないものの、実際には上の方にいくに従って崩れた方の幅が広くなり、深くなる崩れ方をしていた。この辺、やっぱり地すべり地帯なんだなぁと言うことを改めて実感した。

少し拓けた場所を過ぎて、道はまた森の中へ。ここだけは多少木々が茂ってはいるものの、少し先にはまた明るい場所が。但し、これまでとは違って…この道の間隔は左45度右45度の道ではないか。そう、稜線を通っていくこの道は景色は抜群に良いが、路面から一歩ズレると大変なことになる気の置けない道。遥か昔に通っていた旅人たちは、どのような気持ちで通っていたのか。これを抜ければ中仙田の宿か、岡野町の宿か。どちらにしても「あと少し」と言う想いを胸に抱いて、宿場を目指して歩いていたのかもしれない。

これから稜線の道に出ようかと言うところの左側に、小さい祠があった。木造の祠ではなく、コンクリートのブロックと柱を使った、ちょっとやそっとの雪ではビクともしそうにない頑強な祠で、古くからここにあった祠をこの地域の方々が立て直したものだと思う。従ってこの祠の主は遥か昔からここに鎮座されている訳で、この道の悲喜交々を見てこられたことだろう。ちなみにこの道は旧版地形図の中で一番古い1911年(明治44年)の国土地理院(当時は参謀本部)の地形図に、既に記載されている。今から(2025年現在)およそ114年前だ。但し、この時は山中集落経由の道ではなく、岡野町からの旧旧道経由だったが。

近くに行って撮影してみる。このお地蔵様、姿形は新しいものだが、安置されている場所とその雰囲気からして、近年に新しく設置されたものではおそらくないだろう。国道指定から外れて新潟県一般県道に指定され、落石注意となって交通量が激減してからもなお、山深いこの場所で数少ない行き交う人を見つめてきたお地蔵様(数少ない行き交う人となると私も含まれるわけだが)。頑強と言う言葉が一番似合う祠にしっかりと護られたその姿と、墨文字で石に深く刻み込まれた「交通安全祈願」の文字に、私のこの先の道程も無事故であるようにしっかりとお願いして、深く首を下げる。
祠を抜けると、道は仙田隧道へ向けてクライマックスを迎える。古き道を辿る旅、その中心にある隧道は、前述の1911年(明治44年)の地図には既に記載されていることから、遥かに古い隧道と言うことが推察できる。それはどんな隧道なのか、ここからそう遠くはないはず。