新潟県一般県道480号
山中上野線
 第18部
「通せんぼの県道」

2024年9月28日 探索 2025年4月22日 公開

通せんぼの県道

ここまで、この県道を自転車と共に歩きながらのんびりと辿ってきたが、この辺りになってようやく自転車に乗り始めた。とは言ってもそんなにスピードは出さずに、ゆっくりと下っていく。あまり早く下ってしまうと、見えるもの見えなくなるもんね。ふと自転車を止めて、これまで通ってきた道筋を振り返ってみる。
相変わらず急傾斜な山側の崖と、これまたガードレールも何もない谷側の路肩。典型的な旧い山越えの道だ。ここも今は森に囲まれているものの、現道当時は冬になると雪崩がよく発生していたのかもしれんなぁ…と思う。

山道を抜けて、ようやく中仙田の集落に辿り着こうとした私を出迎えてくれたのは、A型バリケードに設置された一枚の看板だった。そのバリケードを通り過ぎて振り返ってみると、そこに書かれていた文字は「落石により全面通行止 十日町地域整備部」の文字だった。

やっぱり通行止だったか

もし仮に私がこっち側(中仙田側)から探索を始めようとしていたら、まず最初にこの看板に阻まれていた。仙田隧道を境に山中側は柏崎地域振興局、中仙田側は十日町地域振興局の管轄で分かれていたのだった。でも、隧道付近の風景を思い出してみても、新潟県におなじみの地域振興局の境界標は見当たらなかった。

となると、もうかなり前からこの県道は通行止めになっていたのか?…

もうすぐ中仙田の集落だ。先に見える左のカーブを過ぎると、最近はこのWEBの中で比較的頻繁に登場してくる渋海川を渡る。ここに架かる橋は確か「仙田橋」というはずだが…。目の前に出てきたのは、おなじみ青看板。この先にある中仙田の十字路交差点を右に行くと松代、左に行くと長岡市小国に到達する、国道403号の道筋を表している。そして、私がいるこの道が「県道480号」であることの初めての表示が見えた。ここまで、県道ということはわかってはいたものの、路肩に標柱もなければ地域振興局の境界標もない。「ヘキサ」なんかもっての外、なんていう道だったもんだから…ねぇ。

さて、仙田橋。トラス橋だけど、曲弦プラットトラス橋で合っているだろうか。親柱を確認すると、竣功は1961年(昭和36年)」7月とある。この道が一般国道252号に指定される前の竣功で、旧県道時代からあったことになる由緒正しい橋と言えるだろう。…てことは、この橋も道も、仙田隧道も旧県道から一般国道、そしてまた県道に戻ったことになる。なんとも数奇な運命を辿っているもんだ。で、今は落石のため全面通行止。このまま廃道にならなけりゃいいけど…と一抹の不安がよぎる。

さて、問題はこの親柱。この橋は「一般国道に指定される前の旧県道時代から竣功していた」と先に書いたが、この銘板に旧県道の名称が刻まれている。なかなか崩してある文字で、読むのに少々苦労した。「県道 中條新田高柳線」と読んだのだが、間違いないだろうか。中條と言えば、ここから十日町側に向かって進むと中條(現在は「中条」)という地名があるので、おそらくこの付近だろう。反対の柏崎側は高柳町を指しているものと思われる。もしかすると、この名称の県道の道筋には、プロローグでお話しした県道219号松代岡野町線の途中から分岐する旧旧道の道筋も含まれているかもしれない。うーん、楽しみだけど、なかなか壮大なことになってきたな(汗)。

これは渋海川を渡る前の右側の親柱に刻まれている銘板。橋の名前が刻まれている。現代の橋の銘板と違って、手書きではないものの、こうして流麗な字体で銘板が造られていることが素晴らしい。この字体にあまり親しみがない現代の私たちには、初見でどう読んでいいのか考え込んでしまうこともあるかもしれないが、それはそれで楽しまなくては、ね。

このトラス橋も、この親柱も、旧県道時代に架橋したものだろう。そして、この橋を渡り終えた先の十字路の角に、素晴らしき廃墟があった。それはもちろん外側から眺めるだけだが、私としては珍しく楽しめた建物だった。それは次回に紹介することにしよう。

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