新潟県一般県道480号
山中上野線 第14部
「取り残された道」
2024年9月28日 探索 2025年3月28日 公開
取り残された道

なんだか道幅がさらに狭くなってきたぞ。路面には草が増えてきたし、路肩なんぞは草の侵食が始まって、狭かった道幅は更に狭くなってしまっている。もっとも、現道時代にはこんなに木々は成長していなかっただろうし、道幅も多少は広かっただろうから、今こうして見ている道や景色のイメージとは全く違っていたんだろうけど。
道の左側は豊かな広葉樹が生い茂る。それは見るからに自然豊かな森になっているが、こうして歩いていると今にも何かの生物(クマとか「シカども」とか)がヌッと出てきそうだ。出てくるなよー。

少し先へ進むと、道の状態はまたまた綺麗な状態に戻って、ここだけ見ると今でも十分に通行できそうな雰囲気だ。ここから見る道の山側は土肌が見える斜面になっていて、自然のままの風景が残っていると言えよう。もしかすると、この道が開通してから存在するものなのかもしれない。そうなると、ものすごく歴史があるものになるが、この道が拡幅されたときに施工されたものとも考えられる。うーん…多分後者だろうか。
だが、自然なままの森が残っていると言うことは、そこに住むものもいる。こうして歩いている時に「シカども」やクマなどと鉢合わせしないように、気をつけないといけない。
でも、どちらにしてもこの道筋自体は中仙田と岡野町の双方の宿を結ぶ、重要な街道だったと思われるから、昔も今も(←私だけという話もあるが)旅人はここを歩いていたと思うと、非常に感慨深いものがある。過去の旅人も、私と同じ景色を見ていたのだろうか。

日差しが燦々と降り注ぐ気持ちいい山道を、自転車を押しながら下っていく。乗って下って行かないのが私らしいだろう?。歩くよりもスピードが速い自転車では、いろんなことを見落としそうだもんね。気づけば、仙田隧道にいた時はあんなに近かった空も、今はこんなに遠くなっている。あの隧道からここまで、結構山を降りてきたんだな。
よく見ると、路面には角度が付いている。いわゆるコーナーの山側が低くなっている。こんなところでも、鉄道用語で言うところのいわゆる「カント」が付けられているように見える。よくできているもんだ。

おや?。道幅が急に狭くなって、そこに取って付けたように設置された短いガードレールと、そこだけ丁寧に引かれた、なんともわざとらしい白線が残っている。さて、ここは…と考えるまでもない。おそらく以前に路肩が崩れたところだろう。山側は崩れた形跡がないので、路肩だけが崩れ落ちたと思われる。雨か、それとも雪解けの水で地盤が緩んだか…。
実はこのレポートを書いている最中にも、ここから少し離れた新潟県主要地方道12号大潟高柳線で路盤崩落が発生していて、これも雪解けの水が路盤に染み出したのが原因との報道もあった。春になって雪が降りやんでも、今度は雪解けの水で新たな災害が起きる。雪と言うのはつくづく厄介な代物だ。

ここなどはなかなか道幅も広く、ようやく「国道だな」と言う雰囲気の道に出会えた。ここは日陰になっていて涼しい。これまで休憩もなかなか取らずに進んできたから(←と言うか、それだけ熱中していたと言うこともある)、水分補給も兼ねて小休止することにしよう。リュックからお茶を取り出して一口飲む。今回は私としたことが梅干しを持ってきていなかった!。非常用に持っている救急バッグから食塩を取り出し、舐めながらお茶を飲む。やはり塩分が不足していたのか、塩分を補給してしばらく休憩していると、何となく体もスッキリしてくるような気がした。
一息つきながら周囲を見回してみる。この旧道でここだけは、この道の往時の姿が非常によく残っている感じがする。山側には、ここにも土肌むき出しの斜面も残っているし、その昔はどんな人たちがここを通っていたんだろうか、もしかしてバスも?などと想像してみると楽しい。

さ、頭も体もスッキリしたし、再び中仙田目指して出発だ!。昔の旅人も、今の私と同じ気持ちで進んでいたんだろうか。…いや、今の私の方が多分格段に楽かもしれないな。ここから見ると、この道は多少交通が途絶えた林道のような雰囲気だけど、こんなに立派な道がこんな山の中に取り残されていると言うのが何とも物悲しく、このまま朽ち果てていくのかななどと思ってしまう。
こんなに歴史あるであろう道が…と、残念な気分だ。
新しい道、旧い道、今のトンネル、昔の隧道、今のPC橋、昔のアーチ橋…
まだ見られるうちに見れるだけ見ておこう、そう思いつつ歩みを進める。
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