新潟県一般県道480号
山中上野線
 第13部
「峠越えの街道」

2024年9月28日 探索 2025年3月18日 公開

峠越えの街道

さて、仙田隧道を通り抜けた私は、一路中仙田の集落を目指す。この県道480号山中上野線は、仙田隧道を境に新潟県の管轄が柏崎地域振興局から十日町地域振興局に変わるはずだが境界標は設置されていない。だが、道の印象を見ると地域振興局によって管轄の仕方が変わるようで、中仙田側のこちらは立入禁止の看板が立っている(ちなみに山中側にはなかった)。隧道内はさほど傷んでる印象はなく、多少湧水が気になったものの通行止めにするほどの湧水ではないように思える。他に何か理由があるのか…

とにかく、中仙田側に抜けて坑門をじっくりと観察した私は、隧道内で坑道断面が変わると言う謎を残しつつ、一路中仙田側の集落を目指す。
比較的乾燥していた山中側の坑口付近に比べて、中仙田側の坑口付近は湿気が多い印象を受ける。山中側が「陽」で中仙田側が「陰」と言うことか。と言うことは、これから先の道程は木々に覆われた道が続きそうだな。これまでにも増してクマやシカどもに注意しながら先へ進むことにしよう。

さらばだ、仙田隧道。私を快く迎えてくれてありがとう。
人が訪れることのない山の中でひっそりと佇む君の姿は、私がレポートとしてしっかりと留めるから安心してくれ。

山中側に比べてやはり緑が深い。山一つ越えただけで、これだけ周囲の景色が変わるものかと改めて驚いた。県境ではなく地域の境(柏崎→十日町)でこれだけ違うものなんだなぁ。路面はまだまだ現役と言ってもいいくらいきちんとしていて、柏崎側に通り抜け出来ないことが不思議なくらいだが、よくよく考えてみれば現道の国道252号があるのに、わざわざ旧道を通る物好き(失礼!)は私と同業者の方々くらいじゃないんだろうかと思われる。途中に農地もないし、今ここだけ見れば深い森の中を通る道だし。

だが、この道はその昔、宿場であった柏崎側の岡野町と十日町側の中仙田の間に横たわる薬師岳を越えて結ぶ、峠越えの街道であったことは確かなことのようだ。当たり前だが、現道とは刻んできた歴史と時間が違う。その重ねてきた遥かな時間は、現道が開通して交通量が減ったとしても護られるべきなんじゃないかと思ったりするのだ。

自転車を押しながら周囲の風景を楽しみつつ進んでいくと、道の雰囲気はそれまでの現役の道のような雰囲気から廃道のような雰囲気に変化しつつある。ここなどは道幅は1車線の体裁を保っているが、もう少し時間を重ねると路肩の草が侵食してきて、さらに狭くなってしまいそうだ。そういった道は、探索をする上では嬉しくはあるものの、少し寂しくもある。この辺りは針葉樹の杉が多くあり、多分以前に植林されたものなんじゃないかと思うが、そうなるとこの道が再度賑やかさを取り戻すのは、その植林された杉を伐採する際の一時的な搬出路の時くらいじゃないだろうか。

こりゃ山中側以上の廃道ぶりだなぁ…。一応この道は現役のはずなんだが、この荒れ具合はよほど長いこと手入れがされていないらしい。仙田隧道が通行止めになることによって、そこまでの途中の道も通行量が無くなってしまい、結果的に道が荒れ果ててしまったと言うことなんだろうか。それに道の印象からすると、地域振興局による県道パトロールも行われていないようだ。
深い森の中を進む道は、まるで地図上の等高線に沿って進むように右に左に方向を変えながら進んでいく。その姿は現代の道に見られるように一気呵成に等高線を無視して橋とトンネルで貫く造り方ではなくて、道自体が自然と共存するかのように思えてしまう。地形に手を加えるにしても最小限に留めるようにしていることがよくわかる道筋だ。

ふと視線を山の谷側に移すと、木々が生い茂る山の斜面の切れ目に何やら白いものが。カメラを取り出しズームレンズで覗いてみると、その白いものの正体はガードレールだった。その下にはコンクリート製の擁壁のようなものが。その周囲の斜面の状況を見てみると、どうやら以前に滑り落ちた場所のようで、ガードレールと擁壁はそれを復旧するために施工されたものだろう。画像を見るとおわかり頂けると思うが周囲には何にもなく、ただ木々が生い茂る斜面があるのみで、その斜面もかなり急な斜面だ。こんなところでたった一本の道を復旧させるために戦った技術者の方々に、思わず頭が下がる。高いところが苦手な私には到底無理な話で、ただ尊敬しかない。

人々の通行が途絶えたであろう道を、ひたすら進む。この道を遥かな昔にはどれほどの人が通行したことか。様々な想いを持って歩いていた旅人の姿が、今の道の風景とオーバーラップして見えてくるようだ。ここにきて路面の左側に側溝があることに気づく。山の斜面から流れ出た湧き水や沢の水が流れていたんだろうな。今では枯葉や土が詰まって本来の目的を果たしていないようにも見えるが、ここにも道を護ろうとしていた道路構造物の姿がある。もともとこの付近は道幅が狭かったようで、およそ1.5車線ほどの道幅しかない。こんな道幅で当時はどうやってすれ違いしていたんだろうかと思ってしまうが、今よりも車自体が小さかった当時は何とかなっていたんだろう。

次回、今の県道の姿を楽しみつつ、過去に想いを馳せながら中仙田の集落に向けて歩みを進めていくとしよう。旅も(中仙田までは)あと少し!。

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