新潟県一般県道480号
山中上野線
 第12部
「断面が変わる隧道」

2024年9月28日 探索 2025年3月13日 公開

断面が変わる隧道

さぁ、この探索のクライマックスだ!(←この後はどうするんだ)
隧道の坑門左側上部には、この隧道の名称と色あせた標識が固定されていた。名称には「仙田トンネル」、標識は高さ制限と最大幅の規制標識が固定されていた。その数字は色褪せて(と言うか風化して)既に判別出来ないが、この隧道が現役だった証拠だ。坑口は吹き付けのコンクリートでしっかり補強されていて、いかにも頼りなげな高さ制限のバーが微笑ましいじゃないか(笑)。さ、この隧道を通って中仙田側に下りよう。

隧道内に突入…ってほどのもんでもないけど。ここは押して一緒に上がってきた相棒(←自転車)がやや邪魔になったが、そんなに困るもんでもないので隧道内も自転車を押して入っていく。自転車を押して歩いていくとき特有の、チャッチャッチャッ…と言う後輪ハブのラチェット音が隧道内に響く。隧道内は比較的乾燥していて、素掘りの隧道にコンクリートを吹き付けたままの凸凹具合がまた良い。
それにしても隧道内は非常に狭い。およそ普通車1台分くらいだろうか。その狭い路面に律儀にひかれた路側帯の白線が、なんとも愛おしい(笑)。

自転車を押して進んでいるといきなり坑道が広がった気がして、おやっ?と振り返って撮影したのがこの画像だ。ここから見えている坑口は山中側の坑口だが、その大きさが私が今歩いている場所の坑道断面からすると、その大きさが合わない。この隧道、この通り途中で断面が変わっている。途中で隧道が延長されたか、途中まで掘り進められていたものを中断し、その後再度掘り進むときに断面が変更されたか、途中まで隧道が改修されたものの中断されたか…いずれにしてもこれは机上調査が必要だろう。果たしてこの辺の資料が出てくるか…図書館に缶詰めになりそうだ。

足元を見てみると路面が濡れている。中仙田側の坑口は濡れているようだ。この辺も確認してみよう。

少し離れて、山中側の坑口を眺めてみる。やっぱり坑道断面が小さいなぁ。ここまで小さくなっていると、何か理由がありそうだ。それに山中側の断面にはなぜか石組みが見えていたが坑道は素掘りでモルタル吹き付け。それに山中側の坑口はコンクリートで固められただけで、石組みのポータルや扁額らしきものは一切なく、非常に簡素な造りとなっていた。でも、私が今いるここはちゃんと巻き立てがされていて、坑道断面も若干広い。
こんなことを、この場所でブツブツ呟いているもんだから、隧道内に反響して非常にアヤシイ状態になっていたことは言うまでもない。イカンなぁ…このクセを何とかしないと。交通があるところでこれをやると、思いっきりアヤシイではないか!(笑)。

ブツブツ言いながら隧道を通り抜けて中仙田側にきた。いつも「峠には陰陽がある」と言っているけど、それに当てはめるとこちらは陰と言うことか。山中側と違って十分に地面が潤っているのがとても印象的だ。それに、山中側では中途半端な位置に設置されていた高さ制限のバーも、こちらではちゃんと然るべくの位置に取り付けられている。そして山中側とは隧道断面が違うのもそうだが、何より隧道としての貫禄がまるで違う。この姿が本来の姿なのか、山中側の姿が本来の姿なのか。そして私が一番感激したのは、扁額があることだった。ぜひその扁額を見てくれ!。

頭で「仙田隧道」と書かれた扁額。独立した扁額ではないものの、深く掘り込まれた扁額調の銘板は非常に立派だ。その周りは崩落防止のメッシュだろうか、貼り付けられてはいるものの、その貫禄は十分。前の画像で、坑口に立てられた看板には「トンネル補修中の為立入禁止」とある。ちょっと待て、この隧道は立入禁止だったのね(汗)。

この隧道、途中で坑道断面が変わっているのももちろんだが、この扁額も気になる。この扁額の「仙田隧道」の文字、これは右頭になっているが、この並び方で扁額が書かれたのは昭和20年代前半までで、その後は左頭からの現在の書き方になっているはずなのだ。

次回、楽しい隧道を後にして、旧道は中仙田を目指して下っていく。
これまでとはまた違って、楽しめそうだ!。いやぁ、やっぱり道って楽しいなぁ!

第13部
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