新潟県一般県道480号
山中上野線 第11部
「旧き隧道の姿」
2024年9月28日 探索 2025年3月8日 公開
旧き隧道の姿

空が近くなってきた。広い路面が下草に侵食されて1車線の幅になっているが、元はもっと広かったんだろうな。中越地震の爪痕を過ぎて、この旧道のクライマックスに向けて歩みを進めている私だ。相変わらず自転車には乗っていない。なぜかって?。登れないんだもん(笑)
それにしても、標識などの類がここまで一切ない県道もまた珍しい。よくよく考えると現国道から分岐したところから、標識と言うものを見かけていないんじゃないだろうか。現役時代も標識がないままだったんだろうか?。そんなことはないと思うんだけどなぁ…ねぇ?。

更に路面の幅が狭くなってくる。ここは下草ではなく山側斜面の草が路面に侵食してきて…と言うことらしい。この道、分岐点のA型バリケードのおかげで交通量はほとんどなさそうだが、ここの路面を見ていると路面の傷が気になる。この傷は手前の画像にもあったが、この路面の傷は除雪の時に付いた傷ではなかろうか?。そうすると、なぜか除雪車は通っていることになる…う~ん、現役時代の頃の傷かな?。…ん?。目の前の右カーブに表示板があるじゃないか!。これは早速見に行かなくては!。

右カーブを過ぎると、いきなり道が明るくなって山の斜面に沿って進んでいく道に変貌する。しかも、ここは路盤がしっかりしていて、俄にとってつけたような道ではなく、ものすごく安定しているように見えるのは気のせいか。谷側にはガードケーブルの支柱が残り(ケーブル自体はあるものの、草に埋もれてしまっている)、山岳道路の雰囲気満載の道になってくる。空も近いし、隧道があるのはわかっているので、この辺りで坑口が現れるんじゃないだろうか?などとキョロキョロしながら先へ進んでいく。

ここにきて道幅が極端に狭くなってくる。路盤の中央には草が生えて廃道の雰囲気満載の道に変わるが、これだけの道幅で現役時代はどうしていたんだろうかと心配になってくる。谷側の路肩には一応ガードケーブルはあるが、夜にここを通るとなると全力で遠慮したい道だっただろうな。ふと空を見上げると非常に近くて、それは稜線が近いことを示している。
おや?。目の前の右カーブに壊れた右の矢印が。もしかして…?。いよいよか?!。思わず足取りが早くなる。

おおっ!隧道だ!
これが仙田隧道かっ!。テンションが一気に上がる。これはまた…なんと雰囲気の良い隧道だ。坑門上部に取り付けられた横棒の鉄板?は高さ制限だろうか?。画像右隅に映り込んでいる、隧道手前の右カーブ内側の急な勾配が何とも素敵だ。ここから少し眺めて仙田隧道を愛でてみよう。
隧道はコンクリートで巻き立てられているものの、これは後世に施工されたものと見た。初期はおそらく巻き立ては行われていなくて素掘りだったのではないか。坑門周りの施工も、この巻き立ての時に合わせて行われたものだろうと思う。坑口はコンクリートブロックが置かれて封鎖されてはいるが排水機能は保たれていて、坑道から出た水は排水されて路面に流れている。トンネルの中が水浸しと言うことはなさそうだ。早速、正対して覗いてみよう。

貫通している!
これは嬉しい!坑口の右側は斜面が崩れて石や土砂が路面に落ちてきている。今は私しかいないからいいが(←ホントはよくない(笑))、これが現役の県道となると管理も大変だろう。このため落石注意のA型バリケードが置かれたんだな。坑口に張り付けられている標識は、おそらく高さ制限と最大幅の幅員制限じゃないかと思うが、標識自体が色褪せてしまっていて読み取れないほどだった。
ツタがぶら下がる坑口、斜面が崩れた斜面…。古の時代から活躍してきた道の名門の隧道が、時を重ねて滅びゆく姿が目の前にある。歴史の重さ、活躍してきた道路構造物、それらに真正面から対峙することが出来ることが、この道の探索の一番の目的と言ってもいい。この隧道に対して一番礼儀ある行いがあるとするなら…今の姿をしっかりと伝えること。その姿を忘れないように。
次回、隧道と正対する時間。