新潟県一般県道480号
山中上野線
 第10部
アースクェイク

2024年9月28日 探索 2025年3月3日 公開

アースクェイク

地蔵を後にした私は、稜線沿いの道を進み仙田隧道へ向かうべく歩みを進める。仙田隧道はこの探索で最もハイライトとなる構造物の一つで、ここを目的にこの探索を始めたと言っても過言ではない。その探索の事前調査の段階で旧旧道の存在に気づいたというわけだ。その旧旧道はこの右下の谷沿いを通っていて、169の標高点も見える。この先にはその旧旧道の合流点がどこかにあるはずで、路肩などを注意して見ていかなくてはいけないが、その地点を撮影していたかどうかが今一つ自信がない。撮影していればいいのだが…。

ところで、路面の路肩にはガードワイヤー(正式名称は「ガードケーブル」と言うらしい。また一つ勉強になった)の姿が見える。得てしてこういった県道や廃道の場合はケーブルが失われているかクタクタになってしまっているが、ここは多少は緩んでいるものの、まだちゃんとテンションがかかっており、転落は防いでくれそうだ。

左側の路肩から下を覗き込んでみると…。よせばいいのに、高いところが苦手と言うことも忘れて覗き込んだもんだから、背筋がモゾモゾして撮影したらすぐに引っ込んだ。あとで画像を確認すると、この通り。周りの地形と違っていて山肌が一気に滑り落ちたような印象を受けるし、ここだけ明らかに木々がない上に、どう見ても地形が不自然。もしかすると、ここは2004年(平成16年)10月23日17時56分に新潟県中越地方を震源として発生したM6.8、震源の深さ13キロの直下型の地震である新潟県中越地震の爪痕かもしれない。もともと地すべり地帯であったが故に、山肌が一気に滑り落ちたかなと言う印象を受ける。もしもここから落ちたりしたら…数百メートルを一気に滑り落ちることになるかもしれない。それはすなわち最悪の状況を意味する。そうなったら、どんな車でもひとたまりもないだろう。

旧旧道も無事であればいいが…。いやな予感が頭をよぎる。
いかん、今は目の前の探索に集中しよう。

ここに来てややダルダルになったガードケーブルを横目に、御覧の通り結構な勾配の坂道を(自転車を押しながら)歩いて進んでいく。これだけの舗装があるのに、なんで自転車使わないの?と思われがちだが、改めて書いておくと私の自転車は前後にサスペンションが付いた折り畳みの自転車で、ただでさえ普通の自転車より重い上に、小径車(12インチだったか)のために変速ギアはついているものの、ペダルを漕いでも前に進まないのよ、これが。平地なら難なく進むんだけど、山道は(それにこういった坂道だと特に)イカン状態になってしまう。(私の愛車の画像はこちら!

路面はまだしっかりしているし、今でも難なく進めそうだが、右の斜面に転がっている小石が少々気になる。落石は今でも続いているようで、こんな小さな石でも上から落ちてくれば相当な衝撃になるはず。やはり探索時にはヘルメットは必須と言えるだろう。私も探索時には(夏の暑い日でも)全行程で必ずヘルメット(高所落下型)を着用している。

ところで旧旧道の合流点だが、多分この画像の付近で合流しているはずだ。
記憶を辿ってみたが、この途中で分岐する道はなかったはず…すると、旧旧道は既に藪の中に没してしまったのだろうか。

少し進んで右側の斜面を見ると、そこには草に覆われた道路構造物の姿が。これは…法面の補強物のように見える。コンクリート製のその構造物の表面は濃い緑の苔が覆い、周囲を草がアシストする感じで自然へと取り込もうとしているかのようにも見える。人が造り上げた道路構造物がこうして自然に溶け込んでいく姿は何か一種の哀愁を感じてしまって、そこに感情を移入してしまうのが私の悪い癖だ。
だが上を見上げてみるとこの斜面、実は結構な高さがあったりして、ここに永久的に設置されるのも止む無しと言ったところか。交通量が少なくなった現在も、道を護るべく奮闘する彼らに拍手を送りたい。

ここまで来ると、おそらく旧旧道の合流点は過ぎていて、この道は明治時代から(あるいはもっとそれ以前から)続く、古い道筋の一部と言うことになる。岡野町や中仙田の宿場町を目指していた多くの古の旅人がここを通行していたということになるわけで、今さらながらにこの道の深い歴史に想いを馳せる次第だ。一般国道252号に指定され、山中トンネル開通後は県道に格下げになってもなお、こうして通行する者(私だが)を通す道。やっぱり昔の道筋と言うのは、整備保守さえされていれば現代にも残るものなのか?と思ってしまう。

緩やかな左カーブを抜けると、空が明るくなってきた。ここまで来ると現道の喧騒などは全く聞こえず、静寂が辺りを包む。その雰囲気は独特で、一種の恐怖さえ覚えてしまうものの、こちらも返って神経が研ぎ澄まされ、微かな物音でも聞こえるようになる。クマが忍び寄ってくる音、何やら動物が森を駆け抜けているような音さえも自らの耳が音としてキャッチするので、探索の際は些か神経質になっているかもしれない。
ところで空が明るくなってきたと言うことは、それは頂上もしくは峠が近いことを意味する。この道の場合は仙田隧道で、自宅よりプリントして持ってきた地図を広げて見てみると、そこまではもう300メートル弱と言ったところか。私が道の探索を始めたころにその名前を耳にして、それからずっと会う日を楽しみにしていた隧道。

その瞬間は、近い。

第11部
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