新潟県一般県道427号
五十子平真田線
第8部「望郷の碑」
2025年7月19日 探索 2025年11月8日 公開
望郷の碑

まぁ素敵な道!(笑)
車の幅いっぱいの道幅。おおよそ2メートルくらいかな。ここも路肩が補強されている。こういった県道でも崩れれば、こうしてきちんと補修しているところが素晴らしい。それにしても、この道幅の狭さ。こりゃ4トンの貨物車は通行できないかもしれない。仮に通ることが出来たとしても、この狭さではいつ脱輪するか、ヒヤヒヤもんだろう。だから自動車交通不能区間なのか…。

ひょいっと路肩から下を覗き込んでみる。ひえぇぇぇ…高いなぁ…ここから落ちたらひとたまりもなかろう。ひとまず、ここから下は…見えないな。相当深い谷になっているのだろう。しかも、こういった道にふさわしいというべきか、ガードレールは全くない。デリニエータ(デリネータともいう)があるのはさっきの修復部分だけで他のところにはないので、夜に通行するときには注意が必要だ(もっとも、私はこの道を夜に通りたくないが…)。

何とも雰囲気の良いところに出た。標高が高くなるにつれて失われていった日陰だが、ここは豊富にあるので、休憩にピッタリだ。脚の長いデリネータが特徴的だ。普通の1.5倍の長さがあるデリニエータの脚。なんでこんなに長いんだろう?。積雪の対応のためかなぁ?。でも、ここは真冬の積雪のころになると、冬季通行止めになって入れなくなるはずだが…。休憩しようかとも思ったが、この付近に車を停める場所がなかったので、そのまま通り過ぎることにした。

おおっ!。どう見ても林道だねぇ!。消えかけた白線(と言うか、ほとんど消えているが)がこの道の素性を物語っているようでもある。もう少し整備されれば交通量も増えて、楽しい道になるんじゃないかなぁ。でも、それには道幅が狭すぎるか…。途中で拡幅工事も行われていたように、確かに路線としてはこの道は国道253号と353号を結ぶ道として、非常に重宝しそうだし、対面通行にでもなると、ワインディングロードとしてドライブにも最適な道になりそうだ。

道端に傷んだ看板を見つける。絡んだ草を少し取り除き、よーく見てみると…「この先赤倉まで自動車の通行は出来ません」とある。つまり、ここまでが自動車交通不能区間と言うことらしい。確かに狭かった…。自動車交通不能区間にもいろいろあって、こうして軽自動車くらいなら通行できる道や、ホントに人一人しか通行できない小径が県道に指定されていることもある。もちろん、私はその「人一人しか通行できないような県道」に、大いにときめくのだが(笑)。仮にその道が崩れていたとしても、その規模が多少なら越えてしまうが、もちろん「安全第一」が再優先なのは言うまでもない。

ゆっくりと車を走らせて撮影していると、峠に近い左側の路肩に広場があって、そこに「望郷の碑」と言う石碑があった。その名前に惹かれて見てみると、「戦没者御芳名」の文字と共に刻まれた15名の方々の御芳名。深々と拝礼し、手を合わせてご冥福を祈ると、改めて碑を眺めた。15名の方々のお名前が記されている。お名前の上に記されているのは、おそらく地名だろう。この集落からも、大勢の方々が戦地に赴かれたんだなぁ…と思いながら、この碑の裏側を見てみる。そこには…

「千九百三十一年から始まった日中および太平洋戦争に海老から四十八名の青壮年が動員された 出発の朝村中の人々に見送られ海老が一望できる此の地で望郷の万感を胸に最後の別れを告げ再び郷里に帰ることのなかった戦死者十五名の芳名を望郷の碑として拝立し心から御冥福を祈念後世に伝え度いと希うものである」(文章部分は原文まま記載)
…碑が建立されていた場所は、海老の集落が一望できるところだった。この峠を越えて戦地に赴いたこの15名の方々は、最後の瞬間にこの景色を思い起こしたかもしれない。…となると、この道の前身は林道ではなく、集落と集落を結ぶ道と言うことになる。まだ旧版地形図は見ていないが、昔から重要な道だったのかもしれない。旧版地形図を取り寄せてみようかな。
