新潟県一般県道207号
大栗田村上線

第3部「へちま」

2025年8月31日 探索 2025年12月18日 公開

へちま

大栗田まで7㎞地点の看板を横目に進んでいくと、こういった場所に出る。ここは一見三叉路に見えるが、そんなことはなく、路面のアスファルトの切れ目を見ていただくとわかるように、左に緩くカーブしていくのが本来の県道の道筋だ。それに対して、右側の道のように見える場所は単純に離合場所。この道を取り囲んでる針葉樹は下枝がきれいに伐採されていて、まるで人工の建造物か何かのように、幾何学的な美しさがある。正面には「大型車通り抜け出来ません」の看板、その隣には「落石」「通行注意」の道路情報表示板に、脇にはカーブミラー。この一部分だけ道幅が広くなっている場所は、ここから狭くなる県道に迷い込んできた大型車用の転回場所だろう。カーブミラーに何か取り付けられているものがあるようだ。見てみよう。

なるほど、このカーブは4番カーブ、「にっこうきすげ」らしい。ふむ、隣には道路情報表示板が見える。もしかして…と思って周囲を見回してみたり、林の中を覗いてみたりしたものの、このカーブの名称になっている「にっこうきすげ」らしき植物は見当たらず。適当につけていったのかな?。

少し進むとこんな看板があった。ふむ、門前川林道橋…となるとここには橋が架かるらしい。この「岩船東部線」とはどんな林道なのだろうか…?。気になって少し調べてみると…

「鮭の遡上で知られる三面川と荒川に挟まれた丘陵地の岩船東部地域の中央にそびえる大平山(560.8m)裾野に広がる森林地域のスギ人工林が多く分布している里山地帯を通過する計画となっています。利用区域内には、豊富な森林資源を有しており、幹線となる林道を開設することにより、森林資源の有効活用と地域の森林林業・木材産業の活性化を図ることを目的としています。」(以上、新潟県村上地域振興局農林振興部のWEBより)と、いうことらしい。

このレポートを書いている時には、もうこの橋は完成しているはず…今度、見に行ってみようかな。この看板が立っている付近は、緩やかなカーブになっている。もしかして…?と、あたりを見回してみると…

ありました。カーブミラーに取り付けられていた看板は、5番カーブ「ほうせんか」。やっぱりこのカーブミラーの周囲には「ほうせんか」はなかったけど、ほうせんかってどんな花だったっけ?こんな花だったっけ?と思わず考え込んでしまった。田舎育ちの私は、この花は小さいころに見ているはずなのだが、まったく頭に浮かばなかった。どうやら都会に感化されてしまったらしい。この看板を見て「あぁ、こんな花だったなぁ」と、ようやく思い出した。この探索は思わず懐かしい草花や小さい頃を思い出させてくれる探索になりそうだ。

路面に生えるコケ。きっちり手入れされた杉の林。その姿は県道ではなく「林道」そのもの。周囲の林は植林された人工林なのだろうが、道の左側の妙な平地。ここはもともと家が建っていたか…それとも畑でもあったのだろうか、そんな平地のようにも見える。この辺で既に山間に奥深く入ってきており、仮にここに住居があったとしたら、生活するには不便だったであろうことは想像に難しくない。

続いてのカーブにもありました。ここは8番カーブ「へちま」。へちまとはまた懐かしい。へちまとは糸瓜(いとうり)のことで、この瓜は食用にもされるが、これを干して乾燥させると「たわし」にもなって、食器洗いのスポンジの代わりになったり、お風呂で身体を洗うのにも使っていた覚えがある。ただ、これは完全に乾燥させないといけなくて、この点がなかなか大変だったような覚えがある。ただ、身体を洗うその感触はナイロン製のものと違って、すごく気持ちよかったのを覚えている。もう一度、作ってみようかな。

しかし、なぜ「へちま」と言うのか。そもそも「へちま」とは何ぞや。
気になって調べてみると、実はもともと「へちま」は、そのまま「いとうり」と呼ばれていたそうな。その語源は果実から糸のような繊維が採れたから。ちなみに我が家では、この糸のような繊維を味噌漬けにしたり、味噌汁に入れて頂いたりする。これがなかなか美味しいのだが、この「いとうり」が、後に頭の「い」がとれて「とうり」に変化し、さらに「へちま」に変化していった。
ではなぜ「とうり」が「へちま」に変わっていったのか。それは実は「いろは歌」が関係しているとされていて…

「いろはにほ「へ」「ち」りぬるを」。このように「と」の文字は「へ」と「ち」の間にある。なもんで「へちま」といわれるようになったのだとか。
ほんまかいな?と言いたくなるが、日本語、言葉の変遷ってのは、実に面白い。そんなことに感心しながら、道は更に先に続きます!。

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