一般国道17号
綾桜隧道跡

2019年5月26日 探索・2019年6月2日 公開
2019年9月10日 加筆修正

今回は、古の道標が始まって初の県外編。場所は群馬県渋川市上白井、国道17号。

この日、私は群馬県に出かけていた。まずは渋川市に行ってお墓詣りを済ませた後は、同じ群馬県の老神温泉で一泊する予定になっていたので、そこへ向かっていた途中のこと。
もう何度もこの国道17号を通り、今日もまたいつものように通っていた私は、なぜかこの時に限って道の左端に「あるもの」を見つけた。私は走らせていた車をすぐに左側に停めて、その「あるもの」が何なのか確認に向かう。見間違えじゃなければ、アレはおそらく…
道端にあった、その「あるもの」ものとは何か。それを早速御覧頂こう。これである。

小さいな!(笑)

ものすごく小さいアーチの隧道の坑門?。これは…この隧道はもしかして猫用だろうか?。それとも狸用?。それにしては扁額が非常に大きい。ビッグサイズもいいところだ。しかし全長は非常に短い。かなり重要な隧道なのだろう。…いやいや、そうではない。
このアーチは、実はここに隧道があったことを後世に知らせるために、ここにわざわざ作られた記念碑だった。

今は無きその隧道の名前は「綾桜隧道」。この非常に立派で達筆な文字で書かれたこの扁額は、おそらく実際の隧道に取り付けられていたものだろう。以下は、この碑に記された全文である。

「ここに綾桜隧道があった 明治三十四年十月掘削され 大正年間に切り広げ整備されて 沿道の交通に永く多く寄与していた 昭和三十九年 十七号国道の改良により 開削され 原型になった これはその記念である
昭和四十年一月 建設省関東地方建設局」

この綾桜隧道の付近は昔から難所として知られており、少し調べてみると以下のようなことがわかった。

この綾桜隧道のモニュメントの先にある現在の綾戸隧道の利根川側に、弘化3年(1846年)7月、沼田の金剛院の住職、江舟がげんのうを使い岩盤をくり抜いて、「穴道」と呼ばれる延長が17メートル、幅が2.4メートル、高さが2.4メートルの、人が通れる程度の大きさの隧道を造った(この隧道は今でも残っていると聞く)。
やがて時代は明治になり、高崎~長岡間の清水新道工事が行われたが、この綾戸渓谷の付近の道路は幾度かのルート変更を経て、穴道の山側に綾戸隧道、そこから1キロほど渋川寄りに綾桜隧道と綾桜橋が1901年(明治34年)10月に開通した。ここで初めて歴史上に綾桜隧道の名前が出てくる。
ではここでおなじみ、地形図を見てみよう。

1907年(明治40年)測図 1929年(昭和4年)修正測図 5万分の1地形図「沼田」を使用したものである。

地図にその綾桜隧道の位置を示してみた。
この後、60年の時が過ぎて1961年(昭和36年)、沼田ダムなどの将来の構想に対応するため、綾戸・綾桜道路1320メートルの改良が計画され、現道拡幅工事が始まる。1962年(昭和37年)8月、1車線分の幅員しかなかった綾桜隧道は開削され、切土面に三段の擁壁が施工された。
最後に出てくる、綾桜隧道が開削された後に施工されたとある、三段の擁壁がこれ。

立派な擁壁じゃないか!

おそらく、この擁壁の全長が綾桜隧道の全長と考えていいだろう。しかも1車線の隧道だったと記録にあるので、綾桜隧道は結構狭く長い隧道だったらしい。現在の国道17号の交通量を考えると、当時は今よりも車の通行量は若干少なかったかもしれないが、高度経済成長の真っただ中に、ここに1車線の長く狭い隧道があったことを思えば、それはかなり交通の障害だったと思われる。だからこそ国道17号の改修工事が行われ、その際に綾桜隧道は開削された。今となれば開削してこれだけ高い擁壁など作らずに、そのまま一回り大きくすれば良かったのではないかとも思うのだが、そこはそれ、何かしらの事情があったと思われる。
しかし、1901年(明治34年)10月に綾桜隧道が開通したからこそ、この難所を通過することが出来た。それから60年、この綾桜隧道によって多くの利便が向上したことは想像に難しくないし、向上したのは交通だけではなく、物流としての役割も大きかったに違いない。一本の隧道が掘られた役割としての効果は非常に大きく、これは「隧道冥利に尽きる」と言ってもいいと思う。
それに加えてこの隧道が幸せだったのは、この隧道が60年もの間、地域に果たした役割をちゃんと理解してくれて、開削された後もここに隧道があったと言うことを石碑を作って知らしめようと考えた人達がいたことだ。この碑を作った当時の、建設省関東地方建設局高崎河川国道事務所の職員の方々に、心からの拍手を送りたい。

開削されても、その記録が残っていない隧道がなんと多いことか。
そんな隧道に出会う度に寂しく、悔しい想いをしていたのだが、こうして碑を残して隧道の存在を後世に伝えようとしてくれている方たちも、ちゃんといる。非常に嬉しい限りである。

今は姿無きその隧道。忙しくクルマが行きかう路肩にポツンとあるこの碑のみが、
隧道がここにあったことを今に教えてくれている。

一般国道17号
綾桜隧道跡

完結。